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 今日は朝から雨が降っている。
夏の終わりの、少し肌寒い午後。水着の日焼けのあとが、ひと夏の思い出を語っている。
学校の課題をすませ、部屋の片づけも終わってしまったわたしは、なにもすることがなくなり、椅子にもたれかかって、ぼんやり窓に映る雨だれを見ていた。
なんにも変わらない澱んだ時間。わたしは壁一面に作り付けられた本棚から、ヤーコブレフの『美人ごっこ』を取り出した。
お話が雨の情景で盛り上がってるからかな?
雨の日にはこの本が読みたくなる。



「かあさん、美人ごっこをしましょうよ」
「ばかばかしい!」
「いやよ、やるのよ。わたしが教えてあげるわ。わたしの言う事をよく聞いてね」
ニンカは、かあさんの手をしっかりにぎると、そっとそばに寄り、あのよそ者が来るまで、ぼくたちがニンカに捧げていたいつもの言葉を、ひと息に言いはじめた。
「かあさん、かあさんの首は白鳥の首。大きなひとみは青い海。かあさんの髪は金の巻毛。唇はさんご…」
雨は真っ暗闇の中の、見えない黒雲から、降り続けていた。足もとには冷たい海がひろがり、街のとたん屋根が、がたがたと音をたてていた。だが、うなる風や、秋の終わりの刺すような寒さを突き抜け、ふたりの不幸をなぐさめる言葉が、生き生きとあたたかい流れになって流れていた。
「かあさんの肌は、しゅすの肌。黒豹のように黒い眉。歯は真っ白な真珠の歯」

                  <ヤーコブレフ 『美人ごっこ』より>


人はどうして、容姿に惑わされるのだろう?
女の子にとって『美しさ』って、どのくらい大事なことなんだろう?
ヒロインのニンカは容姿は醜いんだけど、とても心が暖かい。だけど男の子たちは、彼女を『ブス』と言って、バカにする。
女の子の美しさって、男のものなの?
それはただの「きれいな飾り物」でしかないの?
フランス語じゃ「人間」(I'homme)と「男」(I'homme)は同じ言葉。女はアダムの肋骨から作られた、男の従属物扱い…
そんなことを思いながら、わたしは森田美湖のことを想像した。
みっこもそういう考えに、憤りを感じているんだと思う。
わたしは文庫本のページをめくりながら、本の内容とは違うことを漠然と考えていた。
「結婚」「内助の功」「良妻賢母」
男たちの作った常識の壁は、高くて厚い。
わたし,女に生まれて損しちゃったのかな?
わたしなんかどう見ても美人じゃないし、かといって、生涯の仕事にできるような才能を持ってるかどうか、わからない。わたしの行く先には今日の天気みたいな黒雲が立ちこめていて、ちっとも向こうが見えてこない。

「うーん。雨のせいで思考がスリップしちゃってるな〜」
わたしはひとりごとを言うと、文庫本を伏せて立ち上がった。
今日はあまり落ち込みたくないんだ。
だってわたしの19回目の誕生日だもの。
わたしは電話の受話器をとって、森田美湖のナンバーを押した。
みっことは三週間くらい会っていない。
彼女に会いたいな。
あの子ならきっと、わたしのこの澱んだ思考を、さらさらと流してくれるに違いない。

RRRRR… RRRRR… RRR…

5回。10回。わたしはため息ついて受話器を置いた。
今日がわたしの誕生日だとみっこに言った時、彼女は「電話するね」って言ってくれたけど、まだかかって来ない。なんだか落ち込むなぁ。なにもかも上手くいかない日って、あるよね。
仕方なくわたしはベッドに転がり、ポテトチップをパリパリつまみながら、読書の続きをした。


 『かなりやは悲しそうに鳴く』を読んでいたとき,玄関のチャイムがなった。
「お久し振り。元気だった?」
ドアを開けるとそこにはみっこが立っていた。
彼女は小花模様のビスチェにキャミソールを重ね着し、ひだがたっぷりの真っ白なスカートをはいて、わたしにニッコリ微笑みかける。
雨降りの憂鬱をすっかり払ってくれるような、素敵な微笑みだった。
「どうしたの? 電話するって…」
「うふ。いきなり来ちゃった」
「いなかったら、どうするつもりだったのよ?」
「会えるまで待ってる、なんてね」
みっこはおちゃめにウインクしてみせる。
「あは。嬉しいわ! どうぞ上がって」
「ええ。お邪魔します」
「お茶いれるね」
わたしは彼女を自分の部屋に通すと、キッチンに立った。
なんだかウキウキしてしまったものだから、ダージリンにお父さんのブランデーをちょっと失敬して入れよう。

「お待たせ」
わたしはトレイにティーカップをふたつ並べて部屋に戻った。
「ありがと。ん、おいしい。スピリッツ・ティーにしたのね」
彼女はカップにくちづけて微笑むと、わたしの部屋をぐるりと見渡した。
「すごいのね。さつきは『読書が趣味』って言ってたけど、ここにある本全部読んでるの? 軽く千冊はあるんじゃない?」
みっこは壁一面を覆っている大きな二重書架を見つめて、驚いたように言った。
「買ったまま並べてる本もあるけどね。でも読書はわたしにとって、趣味と実益を兼ねているの」
「ふうん…」
感心するようにわたしと本棚を何度も見返しながら、みっこはうなずいた。


 わたし、物語が好き。
日本文学でも西洋文学でも、時代物でもSFでも… 文字があると、つい読んでしまう。
電車に乗ってても、中吊りの週刊誌の広告の隅から隅まで全部読んじゃうという、いわゆる『活字中毒』ってやつ。

 そもそもわたしが今の西蘭女子大学に進学したのも、わたしの尊敬する、西田潤一郎って教授の講義があるからなんだ。その教授の講義を受けたくて、わたしはこの学校しか目に入らなかった。
そして、ただ漠然と好きで国文科に入って、なんとなく小説家に憧れていたわたしの目を醒してくれたのは、その西田教授との邂逅だった。
初めての講義で、開口一番教授のおっしゃった文学の心得のお話は、今でも耳の奥底に残っている。

「わたしの友人に書道の先生がいてね。いつかわたしは彼に質問したんだ。『書道家なんて特別な才能がいるだろう』ってね。すると彼は『誰だって字を書くじゃないか』と答えた。なるほど、字さえ書ければそれを芸術にまで高める道は、誰にだって拓けるわけだ。
ところで諸君らも、文学は『特別な才能を持った、選ばれた人間の芸術』だと思ってるんじゃないかな? でもそれはわたしの書道の認識と同じで、思い違いだ。字を書くのと同じように、『小説を書く心』は、誰でも持っている。
例えば諸君らは、この学校に合格した時、どんな感情を抱いたかね?
嬉しいと心から感じた人。ほっと安心した人。中には希望の学校じゃなくて、不満や疑問を感じた人もいるかもしれない。その感情こそが『小説』なんだよ。
大学合格という客観的事実を、諸君らがどう受け止めて感じ、行動するか。それを具体的に文章で表せば、それはもう立派な小説だ。
つまり文学とは、自己の経験、感情、哲学を投影させた、事実の再構成ということに他ならないんだね」
教授の口調は、ひとりひとりにやさしく語りかけるようで、それでいて熱がこもっていて、わたしの心を揺り動かした。
あの日から4ヶ月。その間に『短い小説を書いてみよう』なんてユニークな課題も出されて、創作するおもしろさを知ったわたしは、自分の将来に、本気で小説家を描いてみるようになった。

「ねえ、さつき。あたしこれからお買い物に行こうと思うんだけど、よかったらいっしょに来てくれない?」
ティーカップをトレイに戻して、みっこが言った。
「え? いいわよ。なに買うの?」
「お洋服」
そう言って彼女は立ち上がった。


雨はいつの間にか、やんでいた。
水に洗われてポタポタと透明の雫を落とす街路樹と、雲の間からのぞく青空と、それを映し出す水たまり。そんな舗道に波紋を作りながら、わたしとみっこは歩いていった。
「ねえ。さつきはどうして西蘭女子大に来たの?」
「わたしは…」
みっこに訊かれるまま、わたしは西田教授のこと、小説への想いを語る。そしてこれから計画していることを、みっこに話した。
「十月になるとね、九州文化センターで新聞社主催の小説講座が開かれるの。毎週金曜日の6時半から8時半までの2時間。その半年間が1期で、わたしはここに通うことにしたんだ」
「へえ。もう着実に夢に向かって走りはじめてるのね」
「そうなの。やっぱり仲間がいた方が楽しいだろうし。でもこの講座のいちばんの魅力は、半年ごとに作品コンクールがあって、そこでいい成績とれれば、その新聞社が出版している文学雑誌で、デビューできるってことなの! そうすれば作家として認められるし、前途が大きく開ける気がするのよ」
「じゃあ、さつきは作家のたまごってわけか」
「でも、入賞なんて難しいんだろうな。経験ある人も来るだろうし。最終選考に残るだけでも上出来かも…」
「そう?」
「小説家なんて、なろうと思って簡単になれるもんじゃないだろうし…」
「でも。なろうと思わなきゃ、なれないんじゃないの?」
みっこはニコリと笑って、励ますようにわたしの背中をポンと押す。
「そうよね。なにかを夢見て、自分を試してみるのはいいことよね。わたし、本当に物語りが好きなんだ。
たとえプロの小説家になれなくても、わたしは一生お話しを書いていたい。それが『弥生さつき』って人間が存在している理由なんだって、思うときもある。えへ。大袈裟かな」
「ううん。でも… うらやましい。
そんなに打ち込めるものが、あなたには見えて…」
みっこはふと立ち止まり、雨に濡れたはっぱがキラキラ陽をはじいている若いポプラの樹を眩しそうに見上げ、つぶやいた。
「あたし… 今はまだ、なんにも見えない」
彼女は視線を落とす。心なしか曇った表情。
「みっこは将来、なにになりたいの?」
「あたし…」
しばらく口を噤んで、みっこは逆にわたしに訊ねた。
「さつきはあたしが、なにになればいいと思う?」
「え? わたしは… そうねぇ。
だいいちわたし、みっこのことまだよく知らないもの。あなたがなにが好きでなにが嫌いで、なにが得意なのかとか…」
「うふ。あたしが好きなのはピアノを弾くことと、踊ること。嫌いなのは学校の勉強。得意は洋服選びよ。さ、行こ! この先にあたしのお気に入りのブティックがあるの」
かすかにのぞいた心の翳りを払いのけるように、みっこはクルリと綺麗なターンを描いて歩きはじめた。フレアーのロングスカートがふわりと綺麗に舞い上がる。
なんだか、またはぐらかされたような気もするけど、まあ、いいか。

 彼女はわたしの少し先を軽やかに歩いていく。
腰から振り出す脚は、つま先が少し外を向き、後ろに残した脚のひざが、一瞬ピンと伸びる。腰は左右に揺れて、スカートの裾がひらめくけれど、上体は背中をシャキッと伸ばして胸をはったまま、少しも揺れない。
それは、モンローウォークみたいな媚びたお色気じゃない、凛とした清楚な色香。
この子って、ただ外見が綺麗なだけじゃないんだな。
ちょっとした身のこなしがとても洗練されていて、印象的なんだ。
まるでファッションモデルみたいに…


 みっこが入っていったのは『ブランシュ』と看板の掲げられた、フランス窓のあるアンティークな、いかにもデザイナーズブランドって感じのブティック。
「みっこって、いつもこういうとこで服買ってるの?」
わたしはちょっと戸惑って彼女に訊いた。
店先のワンピースでさえ、3万円の値札がついている。奥からはすました感じのマヌカンが、『なにしに来たの』といった顔で、わたしたちを冷ややかに見ている。昔からわたしの興味は本とか音楽に向いていて、ファッションにはあまり関心がなく、女磨きは怠りがちだったから、こんな偉そうなお店は敷居が高いんだ。
みっこは振り向くとくすっと笑う。
「まさかぁ。こんなとこでいつも買ってちゃ、おこずかいがいくらあっても足りないわよ。ふだんはショッピングモールとかディスカウントショップとかをあさってるわ。こまめにいろんなお店をのぞいて、安くていいものを探すようにしてるの。目をつけてたものがバーゲンになったりしたら、朝から飛んでいくわよ」
「そう! わかるわかる! 確かに安くていい服探すのって大変よね〜」
「最近は、路地裏のインディーズショップが楽しいかな。まだ無名だけど、おもしろい服作るお店に出会えたら、やったねって感じよ」
「そっかー。でも『プリティウーマン』みたいに、ブランドものの服をカードでポンと大人買いするのなんて、快感だろな〜」
「まあね。でもあたしは宝探しの方が、好きかな」
「宝探し?」
「手に入れたいお洋服をイメージして、脚が棒になるくらい、あちこちのお店をてくてく回って、それを探すの。ものによっては何年も探し続けることだってあるわ。そうやってやっと目指すものを見つけたときは、とっても感動するわよ。宝物を発掘したみたいにね」
「うん、わかる! わたしもレアな本に巡り会ったときは、宝物発掘した気分になるもの」
「オシャレって、お金で買える物じゃない」

彼女は入口のワンピースから順に眺めていきながら、話を切り出した。
「カラスが舞踏会に行く話、知ってる?」
「うん。いちばん美しい鳥を決める舞踏会が開かれたけど、カラスだけは『真っ黒で醜い』って理由で招かれなくて。でも、どうしても舞踏会に行きたかったカラスは、他の鳥たちが落とした綺麗な羽をまとって参加した、ってお話しね」
「舞踏会で、カラスは『いちばん美しい鳥』だって称えられるけど、なにかのはずみで他の鳥の羽をまとっているのがバレて、身ぐるみはがれて醜い羽をさらけだすでしょ。わけも分からずに有名ブランドに群がっている人たちって、そんなカラスみたいだわ。自分じゃ価値の判断ができなくて、みんなが褒めるものを欲しがるのなんて、みっともないだけよ」
「みっこはブランド嫌いなの?」
「そんなことないわ。ブランドものって確かに品質もデザインもよくて、素敵な物もたくさんある。でも、あたしみたいな小娘が、シャネルのスーツ着て、ロレックスの時計はめて、ヴィトンのバッグからグッチの財布出して、親のカードでミンクのコートとか買ってたりしたら、カッコ悪すぎるわ」
「そうよね〜。でも世の中バブルのせいかなぁ。最近はそんな女子大生が多いじゃない。
デパートのブランド服売り場で、若い女の子が何十万円もするコートやワンピースをバンバン買いあさってるのなんて、まさに『醜いカラス』ね」
「笑っちゃうわよね。老舗の高級ブランドって、その価値に似合う品格とセンスを身につけて、やっと持てる資格があるのよ。チャラチャラしたエセお嬢様の見栄やプライドで買われるのって、デザイナーや洋服に対する冒涜だわ」
みっこはお金にあかせてDCブランドを買いあさる女の子たちを、軽蔑している様子。
わたしだってそういうのは、自分ができないやっかみもあって好きになれないけど、みっこからは彼女たちに対する反感以上に、服やファッションに対する愛情を感じる。

みっこは洋服を選ぶ手をとめて、言った。
「カラスもね。つやつやした漆黒の羽はとっても綺麗だわ。カラスが、それが自分の個性だと自信を持って舞踏会に行けば、きっと他の鳥たちにも認めてもらえたと思うのよ」
「そうか。おしゃれって、自分の個性なのね」

そういえばみっこは、学校に来るときや、ちょっとしたショッピングなんかじゃ、たいてい麻とか綿のジーンズ地の服や、ごくふつうっぽい服を着ていることが多い。
なのに、誰とも違う個性が光っている気がするのは、そんな格好の中にもどこか必ず「おしゃれ」していて、デザインが凝っていたりとか、色と柄の難しい、とても真似できそうもない大胆なコーディネイトを、さらりと取り入れたりしているからだ。
いつかも、講義の空き時間にファンシーショップで買った安いレースの端切れを、ジーンズのスカートにザクザク縫い付けて、綿シャツに合わせて着てたりしたこともあったな。ジーンズとレースの組み合わせなんて考えつかなかったけど、みっこがやるととたんにおしゃれになってしまう。
うちの大学にもそれなりにお嬢様っぽい女の子はいるけど、他の子たちがどんなに高級なブランド服を着てきたって、みっこの方がさりげないけど、ハッと目を惹きつけられるおしゃれをしている。それが森田美湖の個性で、ポリシーなのかもしれない。
みっこのファッションは人から借りた羽じゃなく、自分自身のものなんだ。
彼女からは、自分の築いてきたいろんなスタイルに対する自信を、いつだって感じられる。
ちょっと羨ましいな。
すぐに自信がぐらついて、いつでも不安になってしまうわたしとしては。

「いらっしゃい、美湖ちゃん。お待ちしてましたよ」
奥から出てきた50歳くらいのオーナーらしい品のある綺麗な女性が、そう言ってみっこに会釈した。『美湖ちゃん』って… ここはみっこの知り合いのお店だったのか。
「お久し振りです伊藤さん。今、こちらの方の店舗の視察中なんですってね。ラッキーだったわ」
みっこは親しげに『伊藤さん』と話しはじめた。
「ええ。明後日までこちらにいて、そのあとは東京に戻りますよ。でもびっくりしましたよ。美湖ちゃんが福岡の大学に進学しているなんて。よくお母様がお許しに…」
「ママのことはいいわ」
みっこは彼女の話を遮った。
「それより今日は特別な日なの。だからよろしくね」
「はいはい。美湖ちゃんにはかないませんね」
伊藤さんはニコニコ微笑みながらそう答えた。
みっこはチラリとわたしを見て伊藤さんとひそひそ話しをしていたが、「決まったら呼びますね」と言って、また服を見はじめた。
みっこって、なんか場慣れしてるんだな〜。
サングラスたちと行ったフレンチレストランでも感じたけど、みっこはこういう高級っぽい場所でも、品よく堂々とふるまえる。自分の身の丈にあってなくてびびっているわたしとは、なんだか距離を感じちゃうな。

「このお店って、ノスタルジックな雰囲気のワンピースが多いのよ。生地や細部に凝っていて、今じゃほとんど見られない様な素材とかを、探し出してきて使ったりしているの。あまり派手さはないけれど、その分いくつになっても着られるようなデザインと素材だから、値段よりお得なのよ」
みっこはそう解説しながら店内を回る。
『ブランシュ』は10メートル四方のこぎれいなブティックで、通りに開いたフランス窓と、二階へ上がる螺旋階段が洒落ている。ショー・ウインドにはシルクのローズピンクの豪華なドレスが、ダウンライトにほんのり照らされて浮かんでいる。
トルソーに飾られた服も、確かに派手さはないけど、どこかレトロ調で懐かしい。襟元や袖のレースの使い方が絶妙。ボタンの形もハート型とか貝殻型とか、凝っていて可愛い。
服にはあんまり詳しくはないわたしだけど、こういうのは好みかなぁ。やっぱりわたしだって女の子だから、こんな素敵な服は着てみたくなる。でもどうせ簡単には買えるような値段じゃないだろうし、怖いから値札は見ないことにした。

「森田様のお友達の方ですね」
螺旋階段を登ってみっこが二階の服を見に行っている間に、伊藤さんが声をかけてきた。
「みっ… 森田さんの。はい、そうですけど」
彼女は微笑みながら丁寧に挨拶をして下さる。
「これを機に、以後おつきあい下さいね」
「ええ。どうも…」
「なにしろ、お嬢様がお友達を連れて見えたのは、小学生の時以来ですもの」
「そんなに古いつきあいなんですか?」
「ええ。森田様とはお母様がモデルをされていた頃からのつきあいですから、もう30年になりますね。もちろん美湖ちゃんはまだ生まれてなかったですよ。あの頃の私達は洋裁学校のデザイナー志望と、モデルの卵でしたのよ」
「森田さんのお母さんって、モデルだったんですか?」
はじめて聞いた。みっこのお母さんがモデルやってたなんて。
「ええ。あの頃の淑子さんはたいそうお綺麗で、身長も高く、パリのコレクションのステージにも立てる程の、一流のファッションモデルだったんですよ」
「へえ。すごいんですね」
「淑子さんはお嬢様の教育にも本当に熱心で、厳しい方でした。
お嬢様には小さい頃から、ご自分の服は自分で選んで買うよう、躾けられておりました。そうすることで、お嬢様の感性を養われようとしたんでしょうね。同じようにピアノやバレエも習わせて、お嬢様はなかなかの腕前でしたよ。私もまた、お嬢様のピアノを聞いてみたいものですわ」
そう言いながら伊藤さんは、ちょっと過去を懐かしむ様な瞳になり、「では、ごゆっくり」と言って、奥へ引っ込もうとした。わたしは思わず声をかける。
「あの…」
「なにか?」
「えっと… 『みっこが友達を連れてきたのは小学生以来』ってのは、なんですか?」
伊藤さんは少しためらう様子を見せたが、おもむろに話しはじめた。
「お嬢様… 美湖ちゃんはバレエやピアノを習っていて、その発表会の時のドレスを私がお作りしたことがあったのですよ。その採寸や試着の時に、お友達とご一緒にお店に見えたことがあったんです。
でも、そのお友達とは仲たがいされた様子で、『ここに友達連れてくるときらわれる』とおっしゃって、それからはいつもおひとりでいらっしゃいました。
そのお友達はやきもちでも焼いたのでしょうかねぇ… 寂しいですね」
ポツリとそうひと言つけ足すと、伊藤さんは仕事に戻っていった。

なんだか複雑。
わたしは情けないような、腹が立つような、なんとも言えないもどかしい感情がわき上がってくるのを覚えた。
そりゃ、わたしだってみっこは羨ましい。
美人でスタイルがよくてお母さんはモデルをやってて、しかもピアノやバレエがうまいお嬢様とくれば、それは女の子の「なりたいドリーム」をみんな詰め込んだようなもので、自分との大きな隔たりを感じてしまう。
だけどわたしは、みっこに対する嫉妬とか羨望よりも、大切な友だちだと思う気持ちの方が強い。
なのにみっこはわたしに、悩みを打ち明けてくれない。
弱さを見せようとすることも、ない。
それはみっこにとって、わたしが友だち未満の存在だから… なの?

「さつき、どう? このワンピース。ちょっと着てみない?」
そう言いながら、みっこは螺旋階段の中程から、わたしに服を差し出した。
「なんでわたしが着るの?」
さっきの感情の余韻を引きずりながら、わたしは少し無愛想に答えた。
「いいから、いいから」
「わけを言ってよ」
「いいじゃない」
「みっこはなにも言ってくれないのね」
「え?」
「わたし… 伊藤さんからいろいろ聞いたわ。みっこのお母さんのこととか、みっこがピアノやバレエ習ってたこととか」
「…」
「みっこはそんな話、してくれなかったじゃない」
「…そうね」
「みっこって、いつだって自分の話はしてくれないわ。海に行った時もそうだったし、さっきだって、わたしは自分の夢とか将来のこととか、悩んでることだっていろいろ話したのに、みっこはテキトーにはぐらかして、自分のことはなにも言ってくれないじゃない。そりゃわたしだって無理に聞こうってつもりはないけど。でも…」
一気に話しかけたわたしの語尾がしぼんでいく。
こんな「友情の押しつけ」みたいなこと言ってるわたしって、みっともない。
わたしとみっこが片思いの友情だとしたら、みっこはこんなわたしに辟易するわよね。
片思いの友情?
そう。わたしはみっこに嫌われるのが怖い。

みっこは黙ったままうつむいて聞いていたが、ぽつりと言った。
「ごめんなさい」
「…」
「でも。言えないこと… ある」
彼女はわたしの知らない遠くを見ながら、かすかにまゆをひそめた。
「言いたくないとかじゃないわ。でもまだ…」
彼女はウインドゥに映る大通りを見ている。
たくさんの人が行き交っている。
いろんな服を着て、いろんな過去を背負って。
そうよね。誰にだって侵されたくないテリトリーって、あるよね。
わたしなんかに触れられたくない過去だって、きっとみっこにはあるわよね。
「ごめん。みっこ」
「ううん、いいの」
みっこはホッとした表情でわたしを見つめ、口元を緩める。
「あたしこそ、さつきになにも言えなくてごめんね。あたし… なんだか怖いの」
「怖い?」
「あたし、ひとりっ子だし、同年代の親しい友だちって、ほとんどいたことがなかったの。小学校の頃も、クラスの女の子たちからは、なんとなく距離を置かれてたし。
もしかしてあたしって、知らないうちに相手のこと傷つるようなこと言ったり、したりしてたのかもしれない」
「そんな…」
「だから、怖いの。自分の言葉や態度が」
「あは。なに言ってんの? 『生意気でわがままな小娘』が?
わたしのことなら気にしなくていいのに。わたしそんなにデリケートにできてないもん」
「もう。さつきったら」
そう言ってみっこはくすっと笑った。
彼女には、なんだかとてもアンバランスな一面があるんだな。
あんなにわがままいっぱいに振る舞うくせに、そんな自分に怯えてる。
出会った頃から感じていることだけど、みっこは陰と陽のコントラストがはっきりしている。
その『陰り』がなんなのか、いつかはわかる日がくるのかしら?

「じゃあさつき。このワンピース着てみせてくれない? あたしあなたがこんな服着てる所、見てみたかったの」
そう言いながら、みっこは改めて服を差し出す。よく見るととっても素敵。
こんなブティックに来ることも、ブランドもののお洒落なワンピースを試着できることも、わたしには滅多にないことだし、綺麗な服を着るとやっぱり気分も浮き立つし、気分転換にちょっと着てみるかな。

「へえ。とってもいいじゃない。似合うわよ!」
試着室から出てきたわたしを見て、彼女は嬉しそうに手をポンと合わせた。

鏡の中の弥生さつき。
本当にあなたはわたしなの?

鏡に映ったわたしは、少し大人びた愁いをもって、わたしをじっと見つめている。
くすんだ紅色のアンティークなセミロングワンピースは、質素だけど、襟元や袖口、ボタンにあしらわれたレースが、繊細で落ち着いた、よそゆきの雰囲気を醸し出している。胸元からウエストにかけてのプリンセスラインが、品よくボディのふくらみを見せて、コケティッシュ。
背中や肩に当たる生地の肌触りは柔らかくて軽やかで、ほんのりと肌にまとわりつく感触が、なんだかとっても心地よく、初めて着る服なのになぜか懐かしささえ感じてくる。
からだの動きに合わせてふわふわ揺れるスカートが楽しくて、わたしは思わずからだを左右に振った。
「さつきって色白の可愛い系だから、こういうシックでふわっとした暖色系はよく似合うわね。モスリンのワンピースってわたしも初めて見たけど、心地よくふんわり揺れて、あなたの雰囲気にとってもよく似合ってる感じで、素敵」
「ほんとに?」
「マヌカンじゃあるまいし、お世辞なんか言わないわよ」
「こんな大人っぽい服が、似合ってる? わたし」
みっこは返事のかわりに微笑んだ。
そう言えばわたし、今日で19歳になったんだ。
大学生になって、いろんな体験をして、去年よりたくさんのことを知っている。周りの人も少しづつわたしを、大人の女として扱うようになっている。
わたしも大人にならないとな。
いつまでも子供っぽい友情じゃ、みっこに愛想つかされるかもしれないしね。

「あら。素敵」
タイミングを見計らって寄ってきた伊藤さんが、嬉しそうに微笑んだ。
「さすが美湖ちゃん。このモスリンのワンピースをよく見つけましたね。これは東北地方で細々と生産を続けているメーカーから生地を取り寄せて、大人になった赤毛のアンのコンセプトで作った、私のお気に入りの一点ものなんですよ」
「お気に入りだから、2階の奥のわかりにくい所に仕舞ってたってわけ?」
みっこが茶化すように聞くと、伊藤さんも微笑んで答える。
「そう。お気に入りだから、本当に好いてくれる人に見つけてほしかったんですよ」
「伊藤さんらしいわね」
「美湖ちゃんが見つけてくれて、嬉しいわ」
「サイズはどうかしら?」
ワンピースのウエストをつまみながら、みっこは伊藤さんに訊く。
「3センチくらいつめた方がいい様ですね。彼女細いから。あと、脇も少しだけつめて、胸元をすっきりさせましょうね」
「ありがとう。伊藤さん」
「み… みっこ。どうして?」
わたしはあわてて彼女に訊ねた。なんでわたしに合わせて補正するの?
「さつきはこの服、気に入ってくれたんでしょう?」
「そりゃ、とっても素敵だと思うけど…」
「じゃ、決まりよ」
「決まりって」
彼女はニッコリ微笑む。
「あたし、わがままだけど、こういうサプライズはさせて頂戴」
「サプライズ?」
「今日はさつきの誕生日だから」
「え?」
「これがあたしからのプレゼント。Happy Birthday」

END

26th Jan. 2011 初稿

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