■お食事&撮影会 |
2006.04.29 |
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今日はお呼ばれ撮影会。
午餐会をしながらのコスプレ撮影という贅沢だv
しかし、カメラマンまりりんは先日からの扁桃炎で、いまいち本調子じゃない。粒ぞろいでしかも初対面のモデルさんもいるというのに,,orz
そこは気力で乗り切って、午後のひとときをまったりがっつり過ごさせて頂きましたv
今日参加されたモデルさん's。お疲れさま&ありがとうございました。
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■流動食 |
2006.04.27 |
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久し振りに扁桃炎をやらかしてしまった、、orz
ぼくには修羅場の後にはダウンするジンクスがあるが、今回特に修羅場った訳でもないのに、ここ数日喉の調子が悪く、今日とうとう高熱を発してしまった。
まあ、今週は新プロジェクトの立ち上げや慣れない仕事で気を遣う事が多かったので、それが喉に来たのかもしれない。
これまで扁桃炎は3回くらいやったが、今回は熱も腫れも今までよりは軽いので、今日明日安静にしていたら少しはよくなりそうな予感。
ぼくは消化器系は非常に強いが、昔からどうにも喉が弱い。もちろん煙草厳禁だ。
今週来週と公私共に予定があるので、早く治さねば。
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■お久し振りに |
2006.04.26 |
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イベントに参加する予定ですv
5月21日赤ブーブー主催福岡ドームです。
最近は同人誌販売イベントにもコスプレイベントにも参加していなかったので、1年半振りくらいのイベント参加です。
新刊は只今鋭意ネーム中〜(笑)。
一応花魁漫画を描くつもりだけど、Princess Roadにも未練あるし、、、PRはすでに5巻を出せるだけの原稿が溜まっているけど、オフセットの表紙を描くタイミングを逃してしまったので、今回新刊はナシ、、orz
まあ、5月は仕事がかなり忙しくなりそうなので、GW中にどれだけ原稿が描けるかで新刊発行が決まりそう。
万一新作が出なかった場合でも、なんらかの形で新しいものを持って行きたいなぁ、、(遠い目)
流れの速いイベント界ではもう忘れられた存在の茉莉佳ですが、万一お知り合いの方がいらっしゃたら、ぜひお話して下さいv
ついでに今回は、新しい素敵モデルさんスカウトのため、久し振りにイベントで写真撮ろうと思っていますv
素敵な出会いがあるといいな〜v
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■21世紀のアールヌーボーかも |
2006.04.24 |
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ここ7〜8年。ちょうどプリクラやミニ浴衣が流行り出した頃からだろうか。
フォトアートの世界で、何かが変わってきている。
写真界ではこれまで「タブー」とされた失敗、、手ぶれピンぼけや極端にディフォルメされた被写体なんかが、「アーティスティックな写真」とされたり、いわゆる「型もの」写真の典型だった着物写真も、約束に囚われない自由なポーズや着付けの写真が増えた。
着物の着付けにしても、今までの常識では考えられなかった様な着方や、和物と洋物のアンバランスなコーディネイトが「お洒落」とされたりしている。
これらは、昔から写真をやっている頭の固い人間には、「失敗作」「醜悪な写真」「見苦しい着付けとポーズ」ともとられかねないものだ。
かくいう自分も、こういう一連の「ニューアート」には新鮮さと戸惑いを感じている。
これまで自分が築いてきた撮影技術やセンスが、古臭くなった気もするし、新たなセンスを磨くチャンスだとも思える。
「デジタルになって、簡単に特殊撮影みたいな効果が出せるようになって、自分がこれまで培ってきた撮影技術は、無駄になったんじゃなかろうかと感じるんだよ」
という、知り合いの写真家の嘆きも分かるなぁ。
これらの新しい表現の背景には、、世代の断絶とインターネットの普及があると、ぼくは分析している。(勿論他の要素もあるだろうが)
着付けの常識を知っているばーちゃんは、孫娘とは同居していないから教えられない。もちろん洋服で育った母も、着物の事はよく知らない。
そういう日本古来の伝統と切り離されて育った若い世代が、昔ながらの着物に新鮮さを見い出し、自分勝手流に取り込んだ結果、滅茶苦茶な着付けやコーディネイトが同世代に「可愛い」と支持される。
デジタルになってカメラが簡単に扱える様になり、それを発表するメディア(インターネット)が手軽になると、誰もがシロートの作品に触れる事ができる様になる。写真の事をよく知らないシロートが、自分の感覚の趣くまま、カメラ任せで撮った写真をサイトにあげて、それがやっぱり同世代にウケる。
今までにないもの、失敗作とされていたものさえ、視点を変えれば「アート」になるのだ。
勿論ぼくは、そういうのを否定したりバカにしている訳ではない。
むしろ、その斬新で柔軟な発想やセンスに舌を巻き、嫉妬しているくらいだ(笑)。カメラにはシロートなコスプレイヤーさんの写真を見ていても、つくづくセンスの良さを感じる事がある。
そういう流れを敏感にリサーチしたメディアが商業ベースに載せ、世の中にさらに広まっていく。今やアートをリードしているのは一般大衆(主に若い女性)なのだ。
写真はもはや職業写真家のものではなく、かといってアマチュアカメラマンの手からも離れ、自己表現のツールとして、もっと広く気軽に楽しまれるものになったんだな〜。
イラストや絵画ならある程度の技術が必要なので、ここまで気軽に楽しめるものじゃないが、写真となると誰でもカメラさえ持っていれば撮れるものだ。
これからは写真はセンスで撮るもの。
勿論職業写真家でもあるカメラマンまりりんは、プラス技術でシロートを凌駕しなきゃいけないんだけどね。
ムズカシイ時代になったもんだ,,orz
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■カメラマンまりりんのやむにやまれぬ事情 |
2006.04.21 |
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今日も博多まで出たついでに某ヨドバシ巡り。
先日の仕事での経験を踏まえて、学校関係専用一本勝負レンズを漁ろうという訳だ。
修学旅行や遠足等の学校イベントでは、ご存じの様に歩いて見学地を巡る児童や生徒を撮ったりする事が多い。
例えばクラスが3つあるとして、某ポイントで全員を定点撮影する。
すると、最後のクラスが終わった時には、先頭はすでに遥か彼方まで行っている訳だ。
次の撮影場所では、また最初から撮らないといけないので、駆け足で先頭の先回りをしなきゃいけない。
御老体まりりんには、このスウェーデンリレーの様な追い抜き作業がきついのだorz
こんなハードな運動をするには、カメラシステムはできるだけ軽量の方がいい(もちろん体についたぜい肉を落とすのが一番だが)。従来のレンズラインナップでは、大きく重過ぎズーム比も足りないので、交換レンズやらを持っていけば、さらにかさばるし、レンズ交換の時間ももったいない。
まあ、そんなハード撮影は、運動にもダイエットにもなっていいけどねv
そんなわけで、去年から検討していた高倍率ズームをいろいろ比較。
条件は24mm〜200mmをフォローしている高画質なズームだ。
本命は24mmまで撮れるTokina AT-X24-200mmf3.5-5.6。
対抗はTAMRON 28-300mmf3.5-6.3とTAMRON SP24-135mmf3.5-5.6。
SP24-135mmは、描写はいいが望遠が物足りない。28-300mmは評判はいいが広角が物足りないし、300mmではもはや手持ちの限界なので、手ぶれ防止機能が付いていないと不安だし、SP仕様でないのも不満。
そんな条件でいけば、去年の試写で24mmの陣笠状の歪曲が酷くて一旦は却下したものの、結局TokinaのAT-Xレンズが現状ではベターな選択(値段も一番安かったしv)かなぁという事で、いまいち気乗りしないものの、これをゲットした。
写真撮影で辛いのは、機材がないと撮れないって事だ。(勿論被写体もないと撮れない)
学校関係の撮影はこれから多発しそうなので、やっぱり機材は揃えておかなくちゃならない。
そんな、やむにやまれぬ事情に泣かされる、カメラマンまりりんであった(笑)。
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■ヘェ×7 |
2006.04.18 |
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カメラでお馴染みのNIKON。
実は羊羹を作っているんだって(笑)。
その名も「NIKON羊羹」。柚子味や小倉なんかいろいろあって美味しそうv
NIKONのオンラインショッピングで売っている。
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■新プロジェクト |
2006.04.17 |
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新プロジェクト立ち上げのための説明会が博多で開催され、北九州のカメラマンさん達と出席。
せっかく博多くんだりまで出てきたんだから、帰りに某ヨドバシカメラに寄ろうとすると、「俺も行くよ」「私も」と、大勢のカメラマンさん達と、ワラワラと某ヨドバシへと移動する事になった。
みんな考える事は一緒みたい(笑)。
今回のプロジェクトでお誘いしたカメラマンさんは、みなさんその道では実績のあるベテランさんばかりで、まだまだ未熟者のカメラマンまりりんが、実は一番みそっかすだったりする(笑)。
それなのにみんなのまとめ役を任されるという不思議;
とにかくプロジェクト成功に向けて頑張らねばv
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■ジュッと音が聞こえたよ |
2006.04.16 |
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来週からしばらくは仕事が忙しくなるので、今日は久し振りに息抜きの温泉&グルメドライブ。
天気がとてもよくて、こんな日は思わず撮影モードに突入しそうになるけど、幸か不幸かメモカメラしか持っていってなかったので、そこそこの写真で我慢。
それでも素晴らしい夕陽を見る事ができて、眼福だった。太陽が海に沈むのを見たのは、久し振りの様な気がする。
なにはともあれ、明日からの仕事を乗り切れる様に、充電できた一日だった。
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■人物切り抜き法 |
2006.04.15 |
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久し振りにPhotogenieを更新。
今回は要望の多かったレタッチ編の、「人物切り抜き法」だ。
人物の切り抜きではたくさんの質問をもらったが、電話なんかで説明するのはほぼ不可能。
でもCGを作る上で切り抜きは欠かせない作業だし、地味でもここで頑張っておかなきゃ、綺麗なCGは作れないのである。
まあ、髪の毛のレタッチで職人芸(笑)が入るので、初心者向けじゃないかもしれないが、CGを作ろうというみなさんに、少しでも役に立ってもらえば幸いかなぁ。
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■AQ |
2006.04.14 |
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ご存知の様に、このサイトの名称は「Beauty-Q(BQ)」で、メインコンテンツはギャラリーと「Cosplay-Q(CQ)」である。
勘のいいゲストさんや穿った見方をするゲストさんなら、「じゃあAQもあるのだろうか?」と思われるだろうが、その通り、「AQ」はBeauty-Q開設当初から、秘かに目論んでいるものだ。
AQのテーマはズバリ、アート系の「Nude Photo」だ。
カメラマンまりりん&茉莉佳には、撮りたい写真や描きたいイラストのモチーフは、まだまだたくさんある。
その中のいくらかはヌード、もしくはモデルさんにヌードになってもらった上での作品作りを考えている。
やはり写真にしろ絵画にしろ、ヌードは重要な女性美の表現法なのだ。
ぼくはこれまでにヌードフォトをいくらか撮ってきたし、それを元にイラストも描いている。
しかしイラストならともかく、写真を発表するとなると、モデルさんやギャラリーの皆さんの理解を得られるかが不安で、AQの立ち上げをためらってきた。
だが、今年に入ってカメラマンまりりんの撮影環境は大きく変わりつつあり、そろそろ本格的にヌードフォトに取り組んでもいいんじゃないかと思える様になってきた。
まあ、現実問題として、モデルさんがいなければ写真は撮れない訳なので、BQモデルさんとは別に、これからはヌードを含む作品作りにも協力して下さるモデルさんを募集していくつもりだ。
もちろんモデルさんのクオリティには、やっぱりこだわりたい所である。
ヌードフォトにもいろいろジャンルがある。
男性が見て「抱きたい」と思うヌードなのか、女性が見て「綺麗」と思うヌードなのかで、撮り方も変わってくる。
欲張りなまりりんはどちらもやりたいが、大股開きで即物的なヌードは趣味じゃない、、、というか、それはヌードではなく「ポルノ」だ。
ぼくの本質は女性に対するドリーム(笑)にあると思うので、あくまで綺麗系でいながら、情慾を仄かに感じるものを撮っていきたいかなぁ。
もちろんモデルさんを探すのは大変だろう。
本来自分の作品作りなのでギャラを出すのは難しいんだけど、ジャンルがジャンルなので、ヌードを撮る価値のあるモデルさんには、少しくらいは報酬を出さないといけないかなぁとか思っている。だけど、例え報酬付きでお願いしたモデルさんでも、一番大切なのはお互いの信頼関係なのは、人物写真なら変わらない原則だ。
AQの正式名は、まだ考えていない。
自分の作品を「Artist-Q(藝術家)」と言える程思い上がってもいないし、「Arty-Q(藝術家ぶった)」なんて卑下する気もないので、ネーミングには悩むところだ。
これからのカメラマンまりりんの活動を、どうぞ見守っていて下さい。
もちろん協力して下さる方大歓迎ですv
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■ピカピカの一年生 |
2006.04.13 |
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今週は比較的平穏な日々を送っているが、再来週からは仕事の関係で、6月上旬まではかなり余裕のない日々を送らねばならなくなる予定だ。
昨日は小学校の入学式撮影。
ブローニーカメラで集合写真なんて、実は初めて撮りましたよ先輩(笑)。
フィルムの入れ方やコマの数え方等は、普通の35mmカメラとだいぶ違うので、いざとなってで戸惑わない様に事前に特訓したものの、現場にひとりで放り出されての撮影は、不安たらたら〜て感じ。それでもプロは、お客にそんな不安を感じさせちゃならんのだ。
しかも、来月にはこの慣れないカメラを抱えて、修学旅行にも出かけなきゃならない、、、(汗)
写真撮影、特にスナップ撮影で大事なのは、咄嗟の場合でも正確にカメラを操作できる事だが、これがちゃんとできる様になるには、カメラを自分の体の一部の様に使いこなせる様になっていないといけない。
これからは仕事で撮影する機会が多くなるだけに、もっと写真スキルを上げないといけないのを痛感。
ま。たくさん撮影するうちに上手くなるでしょv(楽観モード)。
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■タイムマシン再読 |
2006.04.10 |
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昨日の日記は理論的に見えて、かえって自分の浅学を曝した様な気がして、ちょっと恥ずかしいかも,,,orz
しかし、ある程度は自分の考えをまとめる事ができたので、このまま掲載しておくつもりだ。
映画を観たおかげで無性に原作が読みたくなり、H.G.ウェルズの「タイムマシン」を引っぱり出してきた(勿論訳本だけどさ)。
これを読んだのはぼくがまだ10代か20代前半だった頃なので、こうして改めて読み返すと、作品に込められたいろんなメッセージを見落としていた事に気がつく。
「タイムマシン」は確かに19世紀のイギリスの常識や倫理観に縛られ、そこから抜け出せていない面もあるが、それでも未来や人類の進化に対する作者の考察は、充分に冷徹で共感できるものだった。
そこには時代を超えて読み継がれる、古今東西変わらない人間の真理が描かれている。
80万年という時の流れは、人間の営みが所詮は泡の様なものと思い知らされるが、その泡は知性によって無限の宇宙や時間を超越できる能力を秘めている事を、タイムマシンを読むうちに考えさせられるのだ。
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■タイムパラドックスについての考察 |
2006.04.09 |
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地上波で「タイムマシン」を鑑賞。
最近の映画の例に漏れず、スタイリッシュなCGを駆使していて、特に時間旅行中の映像はなかなか斬新で美しかった。しかし、タイムパラドックスを含む理論や人間の内面描写はびみょーな映画で、自分的には共感できない部分が多かった。
特に、主人公の科学者のあまりに独善的で感情的な行動には、辟易させられる。
自分のひとときの怒りや感情に任せて未来を変えようとする態度は、科学者としていかがなものか?
そもそも「因果律は変えられない」という設定でありながら、すでに成立していた未来を変えられるのは、論理の矛盾がある。
原作の「タイムマシン」も読んだ事はあるが、こちらも着想は当時としては新鮮で奇抜だったものの、19世紀の西洋文明の常識や倫理感に囚われ過ぎた感があって、21世紀の東洋人が読むには共感できない部分や、ストーリーに野暮ったさを感じる部分もあった。その点では同じ古典SFでも、ジュール・ベルヌの方がいつの時代にも共感できる普遍性が強いと、自分的には思う。
以下、退屈な理論が続くので、興味のない方はスルーして下さい(笑)。
さてさて、「タイムパラドックス」についてだが、ぼくも物書きを目指している以上、それなりに自分で打ち立てた論理を持っている(検証はやってないけどさ(笑)。
ぼくは「Back To The Futuer」や「ターミネーター」、「ドラえもん」で見せるタイムパラドックスにはまったく賛成できない(エンターテイメントとしては楽しめるけどさ)。
「夢落ち」と呼ばれ、「これまでの事はみんな夢だった」と落とす物語の結末法があるが、ストーリーを構築する上でタイムパラドックスがご都合主義のために使われるのなら、これらは「タイム落ち」と呼んでもいいのではないだろうか。
だいぶ話がずれてしまったが、まず、タイムマシン=時間旅行は可能なのか?
答えは「yes」である。
しかし、これには色々とシビアな条件が付く。
まず、タイムトラベルは帰りのない片道切符。それも未来にしか行けない。
現在から過去に行く事はできない。一度未来に行ってしまうと、過去(現在)に戻る事はできない。
過去へ人間(を含む物質)が戻れるという事になると、因果律が崩れてしまうからだ。それは特殊相対性理論が証明する所である。
「レトロコグニション(過去見)」という特殊能力を持つ人間がいるという事を考えると、過去の現象を精神感応する事くらいはできるのかもしれないが、この場合でも過去の現象に干渉する事はできない。
しかし、ぼくはここで別の理論を考えている。
巨大な重力を持った物質が周囲の空間を曲げる様に、重大な事件や現象(変化)は、その前後の時間軸を曲げるのではないか。
だから未来に起こりうる重大な変化は、連続した過去にその予兆があらわれ、レトロコグニションやプレコグニションという能力を持った人間は、そういう時間軸の変化に精神感応出来るのではないだろうか。そうすれば、そういう特殊能力を持たないマグル(笑)でも、注意深く現在を観察すれば、ある程度未来を予想できる様になる筈だ。
ここでお題目のタイムパラドックスを考えてみよう。
因果律は絶対なもので、時間の流れは常に一方通行(というか、物事の変化の物差しが「時間」という概念を生むのだ)という論理に従えば、過去への物理的移動は不可能だ。しかし、ここで敢えて過去へタイムトラベルできたとする。
その場合、旅行者は虚数空間に突入することになる。
つまり、旅行者の辿ってきた時間軸をはずれて、別の時間軸の世界へ移動する事になる。いわゆる「パラレルワールド(並行世界)」だ。
パラレルワールドは時間や空間と同様に無限にある。パラレルワールドと言っても、それがいきなり因果律の崩壊した、不条理な世界という訳ではない。
時間的移動が僅かなら、空間的移動が僅かな場合に景色がほとんど変わらないのと同様に、そのパラレルワールドも、今まで自分が存在していた世界とほとんど変わる事はない。この場合、過去へ移動したと思っていても、実際は時間軸を縦軸とした場合の横軸方向にしか移動していない事になるのだ。ちなみに、一旦別の並行世界に行ってしまうと、元の世界に戻れる確率は1/∞だ。
タイムパラドックスには「過去に戻って自分を生む前の親を殺すと、自分は消滅するのか?」という命題があるが、パラレルワールドという考えを導入すると、このパラドックスを美しく解決する事ができる。
則ち、親殺しはできるが、殺した子供がその場で消滅する様な事はない。
しかしそれは別の並行世界での出来事であり、その世界ではもう自分は生まれてこないが、元にいた世界の親は相変わらず生存している訳だから、自分が消滅する様な事にはならない。しかも、元の世界の自分は別世界に行ってしまったので存在せず、一種の「消滅」となり、ここでも命題を満たす事ができる。
こうなるとドラえもんやシュワちゃんやマーフィがどんなに頑張って過去を変えたとしても、変わったのは別の並行世界だけで、彼等が元々住んでいた世界は変わる事はないという事になる。
しかし、量子物理学では観察者の存在が重要なキーワードになる事を考えると、観察者である本人達に並行世界に移動したという自覚はなく、過去に干渉した世界に存在し続ける限り、それはそれで彼等にとっては、「未来を変えた」という事になり、論理的矛盾もなく、喜ばしい事ではないだろうか。彼等がタイムマシンで未来に戻ろうとすると、戻れるのは自分が変えた並行世界の時間軸上にある未来の世界となる。勿論彼等が元いた世界に戻れる可能性は1/∞だ。
ちなみに、別の世界で自分に会う可能性もある訳だが、その場合、姿形は同じでも、それを構成する物質は別の物だから、基本的に別人と考えてもいいのではなかろうか? よく「過去の自分に遭遇する事はない」とか「遭遇するとすべての因果律が崩壊して、宇宙が消滅する」等という設定があるが、これはナンセンスだ。もっとも、パラレルワールドには反物質で出来た世界も考えられるので、そういう世界に足を踏み入れた途端、旅行者が消滅や爆発する可能性もあるが(笑)。
まあ、ぼくの理論は、僅かな科学的知識と多くの妄想の入ったもので組み立てられたもので、それ自体がパラレルワールドなのかもしれない。作家は自分が打ち立てた論理を駆使して物語を作るが、所詮ストーリーテーラーではない自分は、どんなに理論を揃えても、それを上手く料理する事はできなかった,,orz
ここまで読んで下さった方々。ご静聴ありがとうございました。
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■桜吹雪 |
2006.04.08 |
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先日の桜撮影は天気が悪くあまりパッとしなかったので、天気図とにらめっこしながら今日の早朝から撮影に出かけた。
その甲斐あって、今日はなかなかの撮影日和。思いっきり、ちりそめの桜とコスプレを堪能できた。
桜の花びらが山全体を覆いながら、真っ白になる程に無数に舞う様は、まさに桜吹雪。
顔に花びらがビシバシと当って、痛いくらいだった(笑)。
そんな桜を見る事ができて、今日はラッキー。
やっぱりちゃんとお仕事を終わらせると、仕事の神様が御褒美をくれるらしいv
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■Congratulation |
2006.04.07 |
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去年いろいろと撮影させて頂いた、Nataliyaさんから電話。
今月28日にめでたく結婚するとの事だった。
「あなた。結婚式。出席してほしい」
と、たどたどしい日本語で嬉しいお誘いを頂いたんだけど、彼女らの住所はというと、これがモスクワの近く。
、、、無理っす。
最近は関門海峡でさえ越えてないのに、そんな地球の裏側までは行けませんってば、、orz
Nataliyaとその彼氏とは、去年ツーショ撮影もさせて頂いた。
「思いっきりラヴラヴな感じで撮ろうよ」
と言うと、遠慮会釈もなく、目の前でブチュブチュやり始めたふたり(笑)。
恥の文化の国で育ったぼくにはちょっとドギマギする光景だったが、元々そう言うのは好きな人間なので、撮影もヒートアップ。それでも「日本はどう?」と聞くと、Nataliyaは暫く考えて、
「ん〜。いい所、、 でもスケベ」
と答え、恥の文化を忘れた日本人を代表して謝るという、懐かしくもほろ苦い(?)思い出もある。
そんな彼女から、こうやって連絡を貰えるのは嬉しい事だ。
Nataliyaさん、おめでとうv そしてお幸せに!
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■お久し振りの完徹 |
2006.04.06 |
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余裕のあった日曜から一転して、今週はプチ修羅場。今日は久し振りの完徹仕事となった。
「まりのえ(仮称)さん。徹夜して下さい;;」
と、入稿3日前になって、某パンフイラストが全面差し換えになった非道さを、哀切たっぷりに訴えられて助けを求められては、人として断れないじゃないですか(笑、、事じゃないけどね)。
そんな訳で、特急料金+ご飯という事で手を打つ事にした。
その仕事はクライアントが確かに曲者で、いろんなタッチでイラスト見本を出してもダメ出しされる。
かと言って、どんなタッチが好みかは言わないらしい。
入稿直前でそんな状況だったから、担当のデザイナーは発狂寸前。「網タイツで踊り狂いたい」と意味不明な事を口走ってたし(笑い、、事じゃないっす)。
そんな鬼仕事も無事に終了。
徹夜明けでイラストを納めて、その足でコスプレ撮影に向かった自分は、結構タフっす。
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■梅にうぐいす |
2006.04.02 |
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「ホ〜、、、ホキョ」
久し振りに部屋でまったりと本を読んでいると、外から鶯の声が聞こえてきた。
まだ幼鳥らしく、「ホケキョ」と鳴けない所が可愛らしい。
そう言えば、鶯の鳴き声なんて聞いたのは何年振りの事だろう。しかも南区とはいえ、こんな街中で。
思わず読んでいた本を伏せて、ベランダに出て、しばし鳴き声に聞き入った。今日はなんだか得した気分。
うちに遊びに来た事のある方ならわかると思うが、ぼくは普通、人と話している時にテレビ等をつけたりする事はない。(というか、うちにはパブリックスペースにテレビがない/笑)
撮影中には気分を盛り上げるために音楽をかける事もあるが、それ以外はリクエストがあればかけるといった程度。
なぜなら、相手の方とのお喋りに専念したいという気持ちがあるからだ。
雑音(特にテレビやラジオ)があると、相手の声色もよく聞き取れないし、なにしろ集中力が削がれる。
知る人のみ知っているが、ぼくはこれでいて人の事を覚えるのが苦手で、しかも不器用で注意力散漫な人間なので、なにかをあれこれ一度にできないタチなのだ(笑)。
だから自然と人の話を聞く時は、雑音がない様に心掛けなきゃいけなくなる。
こんな自分には、携帯メールしながらのおしゃべりなんて一生無理だろうなぁ。
ぼくはテレビや携帯、インターネットのある生活を否定している訳じゃない。
世の中便利になって、情報網が発達して、いろいろ楽しいグッズも増えた。
しかし、怒濤の様に押し寄せる情報の中で揉まれていると、ぼくは自分が何者なのか分からなくなってしまう。
だから、まったりと静かな空間で、自分のペースで好きな事をし、折に触れて四季や自然の移ろいを感じている方が、心の中の霧が晴れる様で好きなのだ。
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■4月は出会いの季節 |
2006.04.01 |
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今日から4月。
昨日は、これから一緒に仕事をする予定のカメラマンさん達との、初顔合わせ。
今日は、友人が新しく買ったカメラを見せびらかしに来るという、男祭りが続いている(笑)。
久し振りにお腹いっぱいに、写真やカメラや趣味の事をだべった二日間だった。
お互いにいろいろ情報交換しあい、有益情報もゲットする事ができ、これからの撮影ライフも充実しそうv
4月はやっぱり出会いの季節。
部屋に閉じこもってばかりでなく、カメラを担いで外に出よう!
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