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1st Oct.2000
以前から「撮影しよう」と言っていたARISAちゃんから連絡があり、いきなり今日の撮影となった。
場所はマイセン陶器などを展示している有田ポーセリンパーク。ドイツのツヴィンガー宮殿を模したバロック風の宮殿が素晴らしいテーマパークだ。
ドレスでの撮影を予定していたので、それならば髪やメイクもちゃんとやりたいと思い、ドレスの着付けやトレーン持ちなどにどうしても人手がいるので、
相方の磨悠子さんに、観光と夕食にウナギの蒸籠蒸しをつけることを条件に応援を頼んだ。
お昼頃現地着。幸い部屋を借りれたので、着替えやメイクはゆっくりすることができた。
ポーセリンパークは近くにハウステンボスもあるせいか、いいロケーションにもかかわらず人出は少なく、閉園の噂は絶えない。
今日も日曜日だと言うのに駐車場には2〜30台程度しかクルマがなかった。もっとも写真を撮るには絶好の条件だが…
悪天候を予想しての撮影装備だったが、幸いにも終日晴天で写真のあがりも期待できる感じだった。
いずれお姉様フォトにアップするつもりなのでお楽しみに。
2nd Oct.2000
姫より「悪石島で地震があった」とのお電話を戴いた。みなさんはこの「悪石島」という島をご存知だったろうか?
悪石島は南西諸島の一角をなすトカラ列島の中の一島で、周囲8km、最高地580m程度、人口70余人の断崖絶壁に囲まれた小さな離島だ。
…というような情報も、改めて調べるまでぼくは知らなかった。でも知る人もほとんどいないこの絶海の孤島に、ぼくは特別な想いを持っている。
それはぼくの数代前までの先祖がこの島に住んでいたということ。悪石島はぼくの見たことのない故郷なのだ。
悪石島の島民の先祖は平氏の落人という。壇の浦の合戦で破れた平氏の残党は五木や五ヶの瀬といった九州の秘境に落ち延びたが、
その一部はさらに海を渡って、南西諸島にまで逃れていった。
地震の中継でこの島を空から見たが、確かに四方を断崖に囲まれて人を拒むような島容をしており、落人には絶好の地理的条件だ。
「悪石島」という一見海賊の本拠地のような名前も、人を寄せつけないようにと逆説的につけたものだそうだ。
先祖の記憶もしっかり伝えていかないと数代で消滅していく。ぼくもいつかこの島を訪れてみよう。巡礼のように。
5th Oct.2000
関門トンネルの人道を通って火の山ロープウェイを使い、火の山に行ってみた。まるで小学校の遠足のような気分。
北九州市民にとって、「観光」とか「旅行」とかいう言葉からは程遠いものだからだ。
最近北九州市は門司港レトロ地区に莫大な投資をして観光名所化を進めているが、この関門人道や火の山は
まるで時代の流れから取り残されたような、ひなびた風情。建物もロープウェイのゴンドラも、待ち合い室のベンチや展望台に置いてある
「記念メダル」刻印機まで、施設を作った当時の姿まま。昔にトリップしたような感覚だ。ここには確かに昭和三十年代がある。
7th Oct.2000
アトリエで仕事をしていると、「ミシッ」と建物が軋んで10秒程横揺れがあった。
「地震だ!」と思い反射的に時計を見る。14時35分。頭には「避難経路」だの「火の元確認」だのが浮かぶのだが、緊張で体がこわばってなにをすれば
いいかわからない。幸い震度2〜3弱程度の揺れで被害はなかったが、すぐにテレビをつけると鳥取地方ではかなり大きく揺れたことがわかった。
それから暫くはテレビにかじりついて、地震情報を見る。
マグニチュードは7.3とかなりの規模の地震だったにかかわらず、人的犠牲が出なかったのは不幸中の幸いといえよう。
週はじめに悪石島で地震があったばかりなのに、また地震。「日本列島は現在活動期に入っている」という説もあるが、妙に信憑性がある。
暫くは関東、東海地方には近寄らない様、決意を新たにしたまりのえだった。
8th Oct.2000
前から「撮って」と頼まれていたコスプレイヤーを北九州で撮った。
カメラマンのまりりんは、自分の撮りたいモデルなら三顧の礼を以てお願いするのに、頼まれ撮影になると「撮ってやる」と言わんばかりに、
いきなり高ビーになるひどい奴。今日の撮影でも「来させておごらせてフィルム代も現像代もロケ費も相手持ち」という鬼畜ぶりだった。
それでも「カメラの前ではモデルはいつでもお姫様」というのがまりりんの持論。がんばって撮らせて頂きました。
14th Oct.2000
今日から2日間黒崎宿場祭りで「マンガ塾」のボランティア。初日は土曜日ということもあって、出足は鈍く、3時過ぎまで暇だった。
時間もあるのでちょいと祭り見物。小笠原流の流鏑馬があっていたので、しばらくはそれに見とれていた。
生の流鏑馬を見るのはこれが初めて。馬の躍動感といい武者の真剣な眼差しといい、写真や映像とは違った緊張感が素晴らしい。
一瞬にして的を射抜くその技はまさに実戦そのもので、扇の的を射抜いたときは、まさに那須与一を彷佛させた。いいもの見せてもらいました。
15th Oct.2000
初日とは打って変わって、てんてこまいの一日。開場は11時だというのにその前からすでに席は全部埋まって、空席待ちの子供さえ出る始末。
下は就学前の女の子から上は80歳過ぎのじっちゃんまで、まさに押すな押すなの大賑わいだった。
それにしてもツインテールをした小学校低学年の女の子が、迷いのないペンタッチでコピックラインマーカーを使いこなすのだから恐れ入る。
本気で絵の勉強を続けたら、きっとその道で成功しそうな子もいたし、あなどれぬ小学生。
ずっと描いていた女の子のグループが、最後に飴の袋をくれて「今日はありがとうございました!」とお礼言ってくれたのにはちょっと感動。
教えるはずが教わることが多いという感じのマンガ塾だった。
28th Oct.2000
わんぱくマンガ塾でテキストなどを作るのに結構手間取って、友人の主催しているイラスト展示会に出品するイラストの上がりが遅れてしまった。
毎年このシーズンになるとその展示会があるとのはわかっているのだが、尻に火がつかないと取りかからないずぼらな性格の悲しさだ。
結局納得のいかないイラストを出すことになり、そんな屈辱に苛まれるくらいなら、やっぱり早目に取りかかろうと決心。
だが、そんな決心も一週間で忘れるふがいなさだ。
人間って忘却の生き物なんだね。
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