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Love Affair


「森田さん。今日は最後のお願いに来たのよ。決心は変わらない? どうしてもダメかなぁ」
「ええ… やっぱりご遠慮します」
「もったいないわ。残念だわ。わたし、今年の学園祭のファッションショーの作品4点、ぜんぶあなたのイメージでデザインしたのよ。あなた以外のだれにも、絶対に着てほしくないの」
「…」
「わたし、森田さんがこの学校に入ったときから、あなたのことチェックしてたのよ。はじめてあなたを見たときから、あなたはわたしにインスピレーションを与えてくれた。その気持ちをぜんぶ今回の服に込めたのよ。あなたなら絶対ステージ映えするし、わたしの服を活かしてもらえると思うの」
「あたし… 身長低いから。服のサイズも7号だし、157センチの身長じゃ、ステージモデルとしては失格です」
「そんなことないわ。ないわよ! そんなのを気にしてたんだったら、全然問題ないわ! わたしの服はあなたのサイズで作ってるし、ステージだってそんな本格的なモデル使うってわけじゃないし、そんなの心配しないでいいわよ!
それにあなたの噂は被服科の3、4年の間でも広がってるのよ。『どうしても出てほしい』って、みんな言ってるわ。
ね。お願いだから、引き受けてちょうだい。わたし、あなたじゃなきゃダメなの。
そうだ! 服だけでも見てみない? だいたい出来上がったものが、今被服室のトルソーにかけてあるのよ!」
「ご遠慮します。どんな理由をつけてでも、あたしはやりたくないんです。ごめんなさい」
みっこは深々と頭を下げる。説得していた3年生の女性も、とうとうあきらめた様子。
「…そう。ほんっとに惜しいな。あなたなら絶対って思ってたのにな。でも、来年こそは絶対口説き落とすからね」
「ありがとうございます。来年はもっと、期待にそえるようにします」
「しかたないな。じゃあ、またね。よかったらショーも見にきてね」
「さよなら。いいショーにして下さい」
「あなたがいなきゃ、成功なんてないんだけどね。 …でもありがと。愚痴ってごめんね」

 みっこを誘いにきた彼女は、いかにも心残りといった感じで、何度もみっこを振り返りながら、残念そうにみっこのそばを離れる。みっこは席に座ったまま、彼女が教室から出ていくのを見届けると『ふう』と大きくため息をついて、頬杖ついて窓の外の景色に目をやった。
 秋の短い夕暮れは、まるで淡彩画のように、なにもかもをオレンジの残光で染めてしまい、やがてインクが散っていくように次第に紺色を滲ませて、空の色をプルシャンブルーとスカーレットへと、鮮やかに分けてゆく。
わたしは教科書のバインダーを抱えて、彼女のそばへ寄った。

「ファッションショー… か」
みっこはだれに言うわけでもなく、窓の外を眺めながら、ポツリとつぶやいた。
「みっこ、どうして断ったの? 学園祭のファッションショーのモデルなんて、だれでもやれるってものじゃないのに。しかも3年の小池さんって、すごい才能あるって話よ」
「…らしいね」
「みっこは学園祭には来れないの?」
「そうじゃないけど…」
彼女はまた、ため息ついて答える。
「モデルって、きらいなの」
「え? でも、みっこのおかあさんって、モデルやってたんでしょ?」
「だから… よ」
みっこはしばらく考えて、言う。
「さつきもブランシュの伊藤さんからいろいろ聞いたと思うけど、あたしはママから、将来モデルになるように育てられたのよ」
「えっ? それは聞かなかった」
わたしは驚いた。だけど、それってだいたい想像ついていた。
みっこのファッションに対する愛情やポリシーを聞き、彼女のささいな仕草や、歩き方とか見ていると、たとえ昨日まで『モデルをしてた』って聞かされても、わたしは納得できるもの。
「だけど、あたしはイヤだったの。そんな、人から押しつけられた人生なんて。そんなの、イヤ」
みっこは視線を床に落として言う。わたしはなにかしっくりこない。
「そんなものかな?」
「そんなものよ」
「わたし、わかんないな。みっこの考えていること。モデルの才能がないならともかく、だれがどう見たって、みっこはモデルに向いていると思うし、小池さんだってそう思ってるから、みっこを誘ってるんじゃない。だからやろうよ、モデル。今からでも遅くないわよ」
「…」
みっこはまた、思案するように頭を窓ガラスにもたれかけて、首をかしげたままうつむいた。今日のみっこは、返事をするのもなにかとゆっくりで、声も心なしか、いつもより低い。

「さつきはもう、川島君に関わりたくないんでしょう? だからお別れを言ったのよね」
「な… なによ。いきなり」
「あたしがモデルと手を切ったのも、それとおんなじ理由」
「みっこって、ひどい例え方するのね」
「さつきがしつこくモデルをすすめるから、その仕返しよ」
「そ、そんな、わたし…」
みっこはわたしをじっと見つめると、ペロッと舌を出す。
「…なぁんてね。さ、もう帰ろ。陽も暮れちゃったし」
みっこは気持ちを切り替えるかのように、ニコリとわたしに微笑んで立ち上がると、スカートのしわをパンパンと払う。そのとき教室のドアが開いて、ふたりの女の子が入ってきた。

「森田さん、モデルの話、断ったんですか?」
「もったいなぁい。引き受けちゃえばよかったのにぃ」
彼女たちは口々にそう言いながら、わたしたちのそばへやってくる。彼女たちとわたしたちとは時々同じ講義になって、何回かしゃべったことがある程度のつきあいだった。
ひとりはあまり目立たない、地味な感じで、髪をうさぎのように頭の両側で結んだメガネっ子。
どことなく内気で奥手っぽいとこがわたしに似てるんだけど、被服科だからなのか、けっこう個性的なお洒落さんで、いつも変わったデザインの服を着ている。
もうひとりの子は、うさぎ髪の子とは対照的な、目が醒める様な美少女。
みっこ程洗練された感じじゃないけど、なによりそのメリハリのきいたプロポーションが、日本人離れしている。
170センチオーバーの背丈に、バンキュッボンのナイスボディ。髪も瞳の色もとても明るい茶色で、睫毛の長いつぶらな瞳も、ぽってりとした唇も、とっても官能的。肌は透きとおりそうなくらい白く、西洋人のハーフと間違えてしまいそう。
みっこがどちらかというと、キリリとした知的で清楚な魅力なのに対して、彼女はマリリン・モンローのような、女の香りがプンプン匂ってくるタイプだった。
うさぎ髪の子は『小島美樹』、モンローの方は『河合奈保美』って名前だったが、ふだんはみんなから『ミキちゃん』『ナオミ』と呼ばれていた。

「被服科三年の小池先輩っていえば、二年生で学校のファッションコンクールでグランプリ取って、あの『毎日ファッション・コンクール』にも入賞するくらいの天才で、もうアパレル系の会社からオファーがあって、服作ってるって聞きましたのよ。わたしの尊敬する大先輩なんです」
「だいたい西蘭女子大のファッションショーってぇ、ほとんどミスコンがわりなんだって。全キャンパスからきれいな子選んでるのよぉ」
「それに小池先輩はモデル選びが特に厳しくって、去年だって自分でオーディションしたって話ですのよ。そんな人から選ばれて、森田さんってほんとにすごいなって、思ってましたのに」
「おまけに今年のショーは、東京のモデルクラブの人が見にくるんだってぇ。えへ! スカウトされるチャンスじゃない!」
ミキちゃんとナオミはかわるがわるみっこに言う。特にナオミの方は、なんだか口調がはずんでいる。
「えへ。あたしファッションショーに出るんだ。みこちゃんにさつきちゃんも見にきてね。あ〜あ。モデル! モデルになりたいっ!」
ナオミはそう言いながらコロコロと笑う。
彼女は無邪気っていうか、天然っていうか、その独特の鼻にかかったようなしゃべり方と相まって、どこか『モンロー』っぽくって、男の人との噂が絶えないらしい。
「モデルって『派手』なイメージあるけど、本当はとっても地味な仕事なのよ。そんなに甘いものじゃないわ」
みっこはナオミの言葉に水をさした。
「そうぉ? きれいな服着てパチパチ写真撮られてりゃいいんじゃん。簡単よぉ」
「パチパチ写真撮られるようになるには、いろんなことをガマンしなきゃいけないわ。特に新人モデルってのは、クライアントには絶対服従なのよ。『もっとやせろ』だの『太れ』だの、『髪を切れ』だの『表情が暗い』だの、さんざん注文つけられて、結局『君はイメージに合わないんだよ』なんて、簡単に切り捨てられたりして。
あたし、そうやって潰れた新人をたくさん見た」
「ほんとですの? 森田さん」
ミキちゃんが驚いて聞き返す。
「ええ」
みっこは続けた。
「それに舞台に立ったり写真撮られたりしているのって、ほんのわずかの間なの。そのわずかな時間のために、ふだんからちゃんと自己管理して、スタイルや美容に気をつけて、汗だくになってバレエやポージング、ムーブメントの練習をするのよ。
からだだけが資本だから、なんの保証もないし、友だちと夜更かししたり、自由に遊ぶことだってできなくなる。モデルって名前だけに憧れているのなら、絶対続かない。本当に心からモデルの仕事を愛してなきゃ、とてもできないわ」

あ…
みっこの最後のせりふ。

『本当に心からモデルの仕事を愛してなきゃ、とてもできないわ』

この言葉がわたしの中で、みっこのイメージのなにかをかすった。
みっこはモデルって仕事を憎んでいたの?
それとも愛していたの?

「そんなの平気。すぐ慣れるわよぉ。それよりモデルになって、いつもきれいなカッコして、パリとかニューヨークに仕事で飛び回るのって、カッコいいじゃない!」
ナオミのあまりにもあっけらかんとした答えに、さすがのみっこもあきれた様子。彼女は教科書を入れたバインダーを、ナオミの頭の上に乗せながら言った。
「じゃあナオミ。このバインダーを乗せたまま、教室のはしまで行って、戻ってきてみてよ」
ナオミはみっこに言われたとおり、そろそろとバインダーが落ちないように、注意して歩く。
「モデルはそんなにトロトロ歩かないわよ。もっと胸をはって、背中をのばして、勢いよく歩いて!」
ナオミはできるだけ背筋をのばそうとしたが、頭の上が気になって思うように動けない様子。やがてこちらに向きを変えたところで、バインダーを落としてしまった。
「あ〜ん。こんなのできっこないじゃない」
「なに言ってるの。これはモデルの歩き方の基礎よ。これができないと一流のモデルには絶対なれないのよ」
「みっこはできるんでしょ?」
わたしは思わず彼女に言った。
「…」
みっこは黙ってバインダーをナオミから受け取ると、それを頭の上に乗せ、なにごともないかのようにスタスタと歩いていった。
なんて見事なウォーキング!
つま先が一直線にきれいに揃っていて、まるで平行棒の上を歩いているみたいだけど、とってもなめらかで、少しもぎこちないところがない。腰からコンパスのように大きく踏み出す脚は、まっすぐピンとのびていて、とってもきれい。ハーフターンもくるりと小気味のいいスピン。みっこが回った瞬間,ロングスカートの裾が遅れて舞い上がり、ターンさせた脚はまるでバレエのポーズのひとつみたいで、一瞬会釈する王女様を思わせた。
ターンした瞬間、バインダーは頭の上で少し回ったが、最後まで落ちることはなかった。

「さすがみっこね。すごいわ!」
ナオミとミキちゃんがあっけにとられてみっこを見ている横で、わたしは思わず拍手をした。モデルを目指してレッスンを積んだ人って、こんなにもしぐさが違うものなのね。
わたしたちはただ、なんとなく歩いているのに、みっこはそれを洗練させている。ターンした時のスカートのふくらみ方ひとつまで、計算し尽くしているみたい。
そこまでできるようになって、はじめていっぱしのモデルって言えるんだろうな。

 みっこはまずわたしをじっと見て、それからゆっくりナオミの方に視線を移して、言った。
「モデルになってパリやニューヨークを飛び回ることを考える前に、まずはこのくらいはできるようにならなくちゃね。ナオミ」
ナオミはしばらくなにかを考えている風だったが、突然思いついたようにみっこに言った。
「ねえ、みこちゃん。あたしのモデルの先生になってよ! みこちゃんなんでも知ってるみたいだから」
みっこはあきれたように聞き返す。
「先生?」
「そ!」
なにかを期待して待っているようなナオミの顔も見ず、みっこはバインダーをバッグにしまいながら、少し考えて言った。
「まず、ナオミはおしりを振りすぎるから、そこんとこ気をつけた方がいいわ。からだの上下動も大きすぎるし、変なシナもつけちゃダメ。あとは街を歩いている時とか、自分の姿勢をウインドゥなんかでマメにチェックすることね」
彼女は言い終わらないうちに、促すようにポンと、わたしの肩をたたく。
「さつき、帰ろ。じゃ、ミキちゃん、ナオミ、お先ね」
「さよなら。森田さん、弥生さん」
「ばいばーい。みこちゃん。あたし絶対モデルになるからね!」
ふたりを教室に残して、わたしとみっこはキャンパスをあとにした。外はすっかり暗くなっている。

「ほんとにモデルクラブの人がショーを見にくるのなら、ナオミはスカウトされるかも…」
みっこはわずかに羨ましさがこもったような口調で、ポツリとつぶやいた。


 明け方、夢を見てしまった。
細かなところは忘れてしまったけど、とにかく、川島君が微笑んでいたのは、覚えている。
しかし、その微笑みはわたしに向けられたものじゃない。

『だれに微笑んでいるの?』

…返事は、ない。
彼の姿は朦朧(もうろう)としてきてフェードアウトしていき、あとには乳白色の景色だけが広がっていた。
そんな中で、わたしは自分のいる場所がわからなくなり、落ちているのか浮かんでいるのか、顔は上を向いているのか下を向いているのかさえも、まるで感覚が麻痺したようにつかめなくなり、ただ、そこに存在(あ)るだけ…


「いやな夢」

ベッドから起き上がったわたしは、ほつれた髪を振りながら考えをまとめようとしたけど、頭の中は夢の続きのように靄(もや)がかかったみたいに、かすんでいた。

「なんか、やな感じ」
わたしはキャンパスの中庭にある、噴水のそばのベンチに腰かけて、ただなんとなく空を見上げながら、つぶやく。
夢のイメージを、まだ引きずっている。
気分は最悪。
なのに、わたしのイガイガした気持ちなんておかまいなしに、天気だけはすばらしくよくて、はるか彼方の山並みまでくっきりとマジョリカ色の空が澄み渡り、キャンパスはいろとりどりのざわめきと、看板の洪水であふれている。

そう。
今日は西蘭女子大の学園祭。
川島君と約束してた…

出店の看板。
呼び込みの女の子の声。
行き交う人の思い思いのコスチューム。
ポテトやたこやきが、いっしょくたになったにおい。
だけどそのどれもが、わたしの意識から遠く離れたできごとにしか思えなくて、わたしはただ、ぽっかり空いた青空を眺めているだけだった。
『学園祭はいっしょに回ろうね』
という、川島祐二との約束だけが、未練がましく、わたしの心の中にいつまでも引っかかっていた。

恋人同士の約束なんて、むなしい。
ううん。
わたしたち、恋人にもなれなかった。
どんなにわたしが望んでいても…

 わたしは11時に森田美湖と、この中庭の噴水前で待ち合わせしていた。
ざわめく人混みの中で、どうしても微笑みあっているカップルにばかり目がいってしまい、川島君みたいな男性を見つけると、ドキンとしてしまう。
みっこ、早く来ないかな。
待つのはつらい。
だれかと話さえしていれば、こんなせつない思いをして、胸をキリキリ痛ませずにすむのに。
その一瞬だけでも、あの人のこと、考えなくてすむのに…

 そのとき、ポンとだれかがわたしの肩をたたいた。
「だれかと待ち合わせしてるの?」
肩に感じる大きな手。少し低めの声。川島君?!
わたしはびっくりして振り返る。
しかし、そこにいたのは、知らないふたり連れの男の人だった。
「ヒマだったら俺たちと回らない? ゲームしたりおいしいもの食べたりしてさ。なんでもおごるよ」
「…待ち合わせしてるんです」
わたしはそう言って、そっぽをむく。
「彼氏と?」
「…」
わたしは黙ってうなずく。その瞬間、川島君の顔が頭をよぎって、いたたまれなかった。
「なんか、嘘っぽいな。俺たち避けてるんじゃない? 
心配しなくていいよ、俺たち下心なんてないし… 絶対楽しませてあげるからさ」
「…ほんとに?」
「もちろんだよ!」
わたしは彼らの顔を見た。ふたりともわたしを見つめてニコニコと微笑んでいる。なんだか優しそう。その笑顔を、思わず川島君とダブらせてしまうけど、やっぱり靄がかかって、よく見えない。
「…」
わたしは黙って立ち上がった。声をかけた方の男性が、わたしの腕をやさしくつかむ。じんわり伝わってくる体温。秋って、人のぬくもりがやたら恋しくなる季節なのかしら。

「さつきっ、待った?」
そのとき、大きな声がして、わたしはハッとわれに返った。
気がつくとみっこが隣にいて、わたしのもう片方の腕をぎゅっと握りしめている。
「ごめんなさい、あなたたち。この子の彼が向こうで呼んでるの」
「お、おい!」
「みっこ?」
彼女は有無を言わせずに男たちからわたしを引き離すと、グイグイ引っ張っていく。
「み… みっこ、彼って…」
まさか… 川島君が来てるの? ほんとに?!

校舎を回って男たちの姿が見えなくなると、みっこはようやく足を止めて、わたしの腕を握りしめていた手をゆるめた。
「さつきって、意外とあぶないのね。なんだってあんな人たちにフラフラついていこうとしたの?」
「あ… えっと」
「あたしずっと見てたのよ。あなたがスキだらけでベンチに座っていたところから。いかにも『誘って下さい』って風で、だからあんなにのにチェック入れられるのよ」
「わたし… なんか、だれでもいいから、どこかに連れてってほしかったのかも…」
「?」
「なんか… ばかみたい。あの人たちが微笑むの見て、『川島君に似てる』なんて思っちゃって… 全然違うのにね」
「さつき。最近元気だったから、もう立ち直ったのかと思ったけど… なわけないよね」
「ん。やっぱりなにかのはずみで、苦しくなる」
わたしはぎゅっと右手を握りしめて、うつむく。
「そっか…」
みっこは一瞬戸惑った様子を見せたが、すぐにニッコリ微笑んで言った。
「心配しなくていいわ」
「え?」
「あたし下心なんてないし。絶対楽しませてあげるからさ。あたしといっしょに回ろうよ」
「あは。さっきの…」
みっこはペロと舌を出す。
そうね。今日はみっこと楽しくやらなくちゃね。


「さつきちゃんたちはどこ回ってきた?」
「森田さん、体育館でやるライブ見にいく?」
「わたしたち『ねるとん』に出るのよ! じゃね」
「ダンパどうしようか? ペアしか入れないらしいじゃない」
「ファッションショーも楽しみね!」
「ナオミが出るんだって?」
「見に行ってあげなきゃ」

あちこちの露店やイベントで、顔見知りの女の子といっしょになったり、また離れたりしながら、日が暮れるまで、わたしとみっこはキャンパスを回った。
女子大の学園祭には、高校の頃の文化祭にはなかった、女の子らしい華やかさと艶やかさがある。
露店に飾っているポスターや看板は、独特の可愛らしい丸文字で書かれていたり、カフェではエプロンをつけたボディコンのミニスカート姿の女の子が、ちょっとセクシーに男のお客さんを誘っていたり。
キャンパス中が色とりどりのペンキをまき散らしたみたいな、雑多で卑猥なにぎやかさで、今という一瞬しかないみたいに、時間(とき)が空回りしている。

「夜の部じゃ、合同ダンパがあるんだって?」
「もうバッチリ! カレシにチケット渡してるもんね」
「さっき見た渋カジ君?」
「そこそこイケてるでしょ」
「あ。ティファニーのネックレス! 新作じゃん」
「いいな〜。わたしもアッシー君、呼んじゃおかな」
「え〜。あなたのアッシー、クルマなに?」
「紺のBMW。コンバーチブルよ」
「やるじゃん。んで、あっちの方は?」
「アッシー君なんかとエッチする程、わたし困ってませんよ〜だ」
「わぁ。ヤな女」
「そういうあんただって、しっかり医大生キープしてるじゃない」
「あれはキープっていうより本命かな〜。でもエッチは下手だから、とりあえず週いちでつなぎ止めてるって感じ。まだまだ遊びたいしね」
「あーあ。悪い女」
「あんたみたいなイケイケじゃ、逆に遊ばれて終わるって」

 派手なボディコンに身を包んだ女の子たちが、そんな軽口をたたきながら通りすぎる。
あちこちで、男の子から声をかけられた女の子たちが、相手を値踏みしてクスクス笑ったり、校舎の陰では今日だけのインスタントカップルが、からだをくっつけて、アフターの話をしたりしている。

「こんなものかしらね」
わたしは中庭の噴水の前に戻ってきて、行きかう人たちを眺めながら、ため息ついて言った。
「なにが?」
「学園祭っていったって、結局自分の彼氏見せびらかしたり、テキトーに遊び相手の男を見つけるだけの場所みたい」
「みんな、今が楽しければいいのよ」
「なんだか刹那的」
みっこは噴水の石段に座って、人ごみをじっと見つめながらつぶやく。
「カーニバルって、そんなものかも知れない。ね」

はぁ…
なんだかまた、気持ちがカサカサしてきた。
こんな時はわたしの口調も辛辣になってしまう。
「なんだかバカみたい。みんなテキトーに彼氏作って、バブリーなクルマで遊びまわって、おねだりしてなんでも買ってもらって…
相手のこと、そんなに好きじゃなくても『ま、いっか』って割り切っちゃって。そんな軽い気持ちでつきあえるなんて、信じられない」
「そうね」
みっこは噴水のへりにしゃがみ込むと、池の水をパシャパシャかきまわす。飛び散った水玉が、夕日の逆光にキラキラ輝いて宙で踊る。わたしはそれを見つめながら、続ける。
「ステディを持つってこと自体がファッションなんだわ。そしてファッションにはやっぱりブランドを求めるでしょ。高年収とか高身長とか高いクルマとか。わたし、ついて行けない」
「そんな『ファッション』のために、たいして好きでもない人とエッチするくらいなら、ひとりでいる方がマシよね。気持ちよくないもん」
「わあ。みっこダイタン発言!」
「そう?」
みっこは頬に手を当てて、クスリと笑う。
「あたし。ファッションって、怖いと思う。夢中で追っかけているうちに、見えない大きな流れに呑み込まれてしまって、自分をなくしちゃう。そんな人たちより、見た目は地味でも、自分をしっかり見つめて、流されないで生きている女の人の方が、あたしはカッコいいって思うな」
「そうよね。やっぱり自分を持ってる人の方がかっこいいよね!」
「さつきって、そういうタイプなのよね」
そうサラッと言って、みっこはわたしを見つめて微笑んだ。

あ…

なんだか、気持ちのいい風が心の中をさっと抜けていって、もやもやした霧が吹き流されていくみたい。
みっこは落ち込みかけていたわたしに気づいて、そんな風に言ってくれたのかな?
でも、彼女のそんな言葉が、今のわたしにはすっごく嬉しい。
みっこはわたしの手を取り、パンパンと軽くたたきながら言う。
「ま。流行(はやり)に乗れない女同士、マイペースでやっていこうよ!」
「『流行に乗れない』って、みっこもそうなの?」
「あら? あたしってかるーいギャルに見える? ショックだなぁ〜」
「あは。みっこって見かけによらず、重い女、だもんね」
「え〜。うそ〜? もっとショック!」
みっこはそう言いながら、明るく笑った。
やっぱりこんな彼女を見ていると、沈んだ気分もまぎれるかなぁ。


 学園祭のメインイベントのひとつの「1990西蘭女子大学ファッションショー」は、5時から本館大ホールで開催される予定になっていた。
「ね、みっこ。西蘭の被服科ってレベル高くて、ファッションショーもかなり本格的って話よ。学校の課題とかじゃなくて、このショーのために創作した衣装なんだって」
「ふうん」
「ふうんって… みっこ興味はないの?」
「そんなことないけど」
「じゃあ、見に行きましょうよ!」
「…そうね」
「もう始まっちゃうわよ!」
「ええ…」

さっきまで明るい顔をしていたみっこは、ファッションショーの話題になったとたん、顔色を曇らせた。
「さつき…」
「なに?」
「…ううん。なんでもない」
躊躇(ためら)うようにそう言って、みっこはわたしについて、ホールの方へ歩き出した。

 ファッションショーの開かれる大ホールは、もうほとんど満席だった。
アリーナのような作りのこのホールには、1階には400席ほどの客席がセットされていて、正面ステージの中央から、20メートルほどのランウェイが伸びて、センターステージに続いている。その左右の脇には三脚に据えられたビデオカメラや大きなカメラを構えた人たちがずらっと並び、ショーの始まるのを待っている。

 会場内はまだざわついていた。
1階はもう席が空いてなくて、わたしたちは2階で席を見つけると、入口でもらった今回のショーのパンフレットを広げた。

「ねえ、知ってる? 三年の小池さん。今年は出品取りやめだって」
「ええっ。ショック! わたしあの人の服、楽しみにしてたのに!」
前の席に座っていた、ワンレングスにボディコンで身を固めた上級生らしい女の子たちが、そんな話をはじめた。
小池さんって、こないだみっこをモデルに誘っていた人よね。
彼女たちの話は続いた。
「それがね。彼女、一年生にモデルを頼んだのはいいんだけど、見事にフラれちゃったらしいのよ。だから製作中のドレスを、みんなショーから削ったんだって。もうほとんど完成してたっていうじゃない。もったいない話よね〜」
「ええーっ! 小池さんのモデルを断ったの?! なんか生意気じゃない? どんな子?」
「もり… なんとか言ってたな。すっごい美人だって言ってたけど…」
「そうよね。西蘭のファッションショーって、ミスコンと同じだもんね」
「でも、わたしもチラっとその子見たことあるけど、そんなにたいした子じゃないみたいだったわ。小池さんが執着する気持ち、わかんないな〜」
「なに? 小池さん、そんな子のためにショーやめちゃったの?」
「全部その子のイメージで作ってたから、今さら他の子に着せたくないんだって」
「でも、服は何人かのチームで作ってるんでしょ? ほかの人たちは出品したかったんじゃない?」
「まあ、パターンとか縫製とか、手分けしてやってて、残念がる人もいたみたいだけど、小池さんが『出さない』って言えば、そうなるわよ。なんたってカリスマだから」
「最悪。ふざけてるわよ! そのモデル。でも小池さんも、そのモデルでなきゃダメだったんなら、服作りはじめる前から、ちゃんとキープしとくべきだったんじゃない?」
「そうよね〜。まさか断られるなんて思ってなかったから、先走りすぎたのかもね。なんたって毎日ファッション・コンクール入賞者だから」
「にしても、やっぱり小池さんの服、見たかったな」

彼女たちの話を聞いていて、わたしはなんだか、自分がとってもすまないことをしたような気分。
「みっこぉ…」
わたしは小声で彼女にささやいた。
みっこはなにも言わない。ただ黙って、手元のプログラムに視線を落としている。
そのうちブザーが鳴って天井のライトがしだいに暗くなっていき、騒がしかった場内も少しづつ静かになってきた。
「はじまるわ。さつき」
みっこはプログラムを閉じる。おしゃべりをしていた前の席の女の子も、ステージに目をやった。
会場が暗転したなか、『FLASH DANCE』のイントロが、高らかに鳴りはじめた。

   First when there's nothing
   But a slow glowing dream
   That your fear seems to hide
   Deep inside your mind

途中で曲が小さくなり、スーツを着た女の人が、ステージの中央のスポットライトに浮かんだ。
「本日のご来場ありがとうございます。
これよりNinteen Ninety Seiran Women's University Fashion Showを開催いたします。
今年のテーマは『Four Season』。
被服科の31チーム125名がクリエイトしたそれぞれの四季の華、どうぞご覧下さい」

挨拶が終わると曲のボリュームが再び上がり、会場いっぱいに響き渡る。
曲がノリのいいパートに入ったとたん、会場のライトがいっせいに輝き、ステージの中央にカラフルな衣装をまとった女の子たちが次々と現れた。
きゃあ! 本当に本格的なファッションショーなんだわ!
わたしはドキドキしながらステージを見つめた。
モデルたちがスカートの裾をひらひらと翻しながら、次々とランウェイを進んでいく。カメラのストロボがバシバシと光り、シャッターとフィルムを巻き上げるモータードライブの音が、甲高い金属音を上げる。

「No.1 スプリングカーニバル。チーム『GoGoHeaven』 モデル、河合奈保美」
作品紹介のナレーションが入ると同時に、ステージでモデルがくるりと回る。
わぁ。最初からナオミじゃない。
彼女はランウェイを弾むように歩くと、センターステージでクルクルと二回転する。
クリノリンの入った、チューリップを逆さにしたようなポップなスカートが、ふわりと広がる。見るからに春らしくて明るい色。
ナオミって、遠くの2階席から見てても目立ってて、とってもステージ映えする。華やかで印象が強い娘(こ)だな。
「No.2 ボン・ボヤージュ。チーム『Dessinateur』 モデル、姫野愛子」
「No.3 ルージュ。チーム…」
こうして明るい色の春のファッションが続いたあと、BGMは『チューブ」に変わって、夏の装いになった。
5番目に出たナオミは、原色のサマードレスの前ボタンを開けて、インナーには派手な花柄のハイレッグの水着。彼女はモンローウォークのように『しな』を作りながらランウェイの先まで進むと、ドレスの肩を抜いてターン。大きく開いた背中がとってもセクシー。
やっぱりこの子はすごい。
したたかというか大胆というか…
とにかく自分のからだを魅せるのがうまい。カメラマンもわたしと同じ印象を持っているらしく、彼女が出てくると、シャッター音がいちだんと増えるみたいだった。

 秋のファッションのBGMは竹内まりあ。
枯葉模様のカントリー調のドレスに、ちょっとせつないキャンパスソングが似合っている。
さすがに『西蘭女子大のミスコン』といわれるショーだけあって、モデルはみんな綺麗でスタイルがよく、目をひかれるの女の子たちばかり。
だけどわたしは今、このステージの上に森田美湖がいないことが、とても残念だった。
確かにパンフレットに載っている写真は、どの女の子も綺麗に写っているけど、実際に服を着て歩き、ポーズをとった時、やっぱりみっこにかなう女の子はいないと思うからだ。
それほどまでに、この前みっこが見せてくれたウォーキングは、印象的で美しかった。

「残念ね。わたしみっこがモデルしてるとこ、やっぱり見たかったのにな」
わたしは彼女を振り向いて言った。
みっこは真剣な眼差しでステージを見つめていた。両手はひざの上に置かれて、ギュッと握られている。
まばたきもしない。
そのまま2分… 3分…
「みっこ、ずいぶん真剣に見るのね」
「え? あ… ああ。そうね…」
みっこはチラッとわたしに視線を投げかけたが、すぐにステージの方に戻した。しかし、それも長くは続かず、突然立ち上がった。
「さつき。もう出よ」
「え? まだ終わってないわよ」
わたしはステージに目をやる。純白のウエディングドレス姿のモデルたちが、次々とステージに上がっている。
「さつきは最後まで見てて。あたし、外で待ってる」
みっこはわたしにかまわず出口へ向かう。わたしもあわてて席を立った。
「み、みっこ」
フィナーレの近づいたクライマックス。会場いっぱいの拍手が鳴り渡る中を、わたしとみっこは退場した。


「…ごめん。さつき」
「なにが?」
「あたし、どうしようもなくわがままで」
「いいのよ、もう。わたしが無理に誘ったんだし」
「そんなことないんだけど…」
そこまで言って、みっこは黙り込む。会場の外はすっかり日が暮れていて寒く、キャンパスには色とりどりのイリュミネーションが、まるで地上に堕ちた星屑のように散らばって、冷たくまたたいている。
わたしたちはしばらく無言のまま、そんなキャンパスの中を歩いた。

「みっこはファッションショーとか、きらいなの?」
ふたりあてもなく歩いて中庭まで来た所で、わたしはそんな筈はないと思いつつ、訊いてみた。みっこはかなり間を置いて、かぶりを振った。
「…ううん。あたし、お洋服は好き。一着一着に作ってくれた人の愛情とか情熱を感じるし、それを着こなすことに、誇りと満足感… みたいなものも感じる。
変? そういうの」
「ううん。みっこらしい答えだなって思う。いつかあなた言ってたじゃない。『オシャレって、お金で買える物じゃない』って。あの話を聞いていて、わたし、あなたがファッションをとっても大切に考えているのが、よくわかったわ」
そう自分で話しながら、わたしはこないだ感じた、
『みっこはモデルって仕事を憎んでいたの? それとも愛していたの?』
という疑問の答えを、見つけたような気がした。

『着こなすことに、誇りと満足感… みたいなものも感じる』

みっこの答えは、ファッションを見ている側の感覚じゃなく、着る側、モデルとしての感覚。
彼女はきっと、モデルって仕事を愛しているんだ。

「あたし… わかってた。こんな気持ちになるの。
 …やっぱり、捨てられないの」
誰に聞いてもらうわけでもなく、みっこはそうつぶやいて立ち止まり、夜空を見上げた。虚空の中に、なにかを求めているような、彼女の横顔。
みっこはファッションモデルになるように育てられたし、彼女自身もモデルという仕事を愛しているのに、どうして今、彼女はそれを拒んでいるのかしら?
「わたし、どう考えても、みっこがモデル嫌いだって思えない。あなたがモデルになりたくない理由って、なんなの?」
みっこは少し驚いたようにわたしを振り返り、なにかを探るように、しばらくわたしの瞳をじっと見つめていたが、視線をそらして、
「もう、さつきには言わないとね」
と言うと突然、中庭の噴水に向かって走り出した。

「あたしねー」
途中で振り向いて、みっこはわたしに叫んだ。

「あたし。モデルになれないの!」
「えっ?!」
「モデル失格なのよ!」
「どうしてっ?」

わたしは彼女を追いかけた。
みっこは噴水のそばに立ちすくんだまま、アップライトに照らされて、まるで巨大なカリフラワーのように白く浮かび上がった噴水を、ジャケットのポケットに手を突っ込んだまま、じっと見つめている。
「みっこ…」
「…165センチはなきゃ、いけないの」
「え?」
「身長がね、最低でも165センチはないと、ほとんどのステージじゃ、オーディションを受けることさえできないのよ」
「そうなの?」
「あたし、157センチしかない」
「あ…」
みっこはくるりと背を向けた。
「ふふ… ばかみたいでしょ。この十数年間、友だちも作らずに親の言うとおり、一生懸命モデルのレッスンに打ち込んでいたのに、いちばん肝心の身長が足りなかったなんて。
そういう努力とか才能とか以前の条件で、モデルができないなんて。
あたし… 今まで、いったいなにやってたんだろ」
「みっこ…」
「だからあたし。なくした18年を取り返すことにしたの」
みっこは噴水のふちに腰をおろし、ゆらゆら水面(みなも)に揺れる光のかけらを、じっと見つめている。
彼女の姿が、水面の波紋であいまいに揺れる。
「ほんとはね。パパもママも、西蘭女子大進学、大反対だったの。九州の四年制大学に行くなんて、『モデルになりません』って言ってるようなものだもの。
でも、あたし、来ちゃった。
あたし、大学生活で自分を変えたかったの。今までずっと自分が囲まれてきた環境を、すっかり変えてみたかったの。友だちとケーキ屋さんに行ったり、夜ふかしして恋の話をしてみたり… そんな風にして、すごしたかった。
もう、モデルのことは考えたく、ない」
「…」
わたしは、みっこが今まで自分の話に触れたがらない理由が、やっとわかった。
だけど…
だけど!

わたし、どうしても納得できない。
今、雑誌とかで活躍しているモデルさんだって、身長がそんなに高くない人だっているし、モデルになる気があるのなら、ステージモデル以外にも、いろいろと道はあるはず。みっこならそのくらいのことは、わかっているだろうに。
身長のことだけじゃない、なにか別の大きな出来事が、みっこの心をかたくなにさせた原因として、あるんじゃないかしら?
わたしは彼女とつきあいはじめてからの半年間の、彼女のいろんな言葉や態度を、心のなかでジグソーパズルのかけらのように集めてみた。
だけど、今の彼女の告白を埋めてみても、まだなにか肝心なところがポッカリ抜けちゃってて、全体の絵が見えないような気がする。

「みっこはもう、モデルにならないの?」
「ならないんじゃなくて、なれないの」
「違うわ。『なりたくないのか』って、訊いてるのよ」
「…」
みっこは言葉に詰まって、瞳をそらした。
わたしは、あの誕生日の買い物に行くときに、みっこの言った台詞を思い出す。

『さつきはあたしが、なにになればいいと思う?』

きっとみっこは、『モデルにならない』って決めただけで、彼女の心は、まだ迷宮の出口を見つけられないで、さまよっているのね。
みっこはモデルの仕事を愛しているけど、それを受け入れてもらえないから、モデルを拒むことでしか自分を楽にできないんだ。
あ…
以前、被服科の小池さんからモデルに誘われていたとき、みっこは、
『あたしがモデルと手を切ったのも、それとおんなじ理由』
と言って、わたしが川島君に別れを言ったことを例に出したっけ。
あのときは深く考えなかったけど,もしかしてみっこはこういう意味を込めていたのかも。
ただの仕返しってわけじゃなかったんだ。

「カーニバルだわ」

みっこは空を見上げて、ポツンと言った。
「え?」
「そうよ! あたしの大学生活は、ぜーんぶ毎日が壮大な実験なのよ。
すごいじゃない! これはあたしの今まででいちばん豪華なカーニバルなんだわ!」
みっこはそう言ってくるりと回ると、わたしを見てニコリと微笑む。
「ど… どうしたの? カーニバルってどういう意味?」
「いいじゃないさつき。あたし、やっとわかったんだから!」
「なんなの? わたしは全然わかんないよ」
「いいのよ、もう。あたし決めたんだ! カーニバルなら、うんと楽しまなくちゃって。学園祭の夜は長いわ。後夜祭にそなえて、なにか食べに行こ! そして今夜は思いっきり楽しもうね!」
そう言ってみっこは、足取り軽くかけ出した。
「待ってよ、みっこ!」
わたしはあわてて彼女のあとを追う。みっこにはいつだって振り回されるんだから。
わたし、この子がどんなことを考えているのか、よくわからなくなるときがある。


 カ−ニバルって、不思議な時間と空間。
昨日と今日に挟まれた一瞬の時間の中で、永遠にクルクルと空回りをしている、シュールレアリズムなメリーゴーランドみたい。

わたしたちが日頃見慣れている、毎日通うこのキャンパスも、カーニバルの今だけは別の生き物に変わったように、違うきらびやかさを見せていて、それは過去とも未来とも切り離された、虚構の世界。
そんな刹那の中で、それぞれの人がそれぞれの木馬の上で、なにかを演じている。
それは、いつまでもいつまでも、クルクル、クルクル回るような気がして、永遠に終わらないって思うけど、それでもいつかは、カーニバルも終わるんだ。
だから、カーニバルの夜は、淋しい。

 わたしとみっこはキャンパスの中の模擬店で夕食をとり、後夜祭に臨んだ。
『カーニバルだわ』
そう言ってからのみっこは、異常なくらいのテンションではしゃいでて、ちょっとしたことでコロコロと笑い、さっきまでの沈んだ顔が、嘘のよう。
だけどそれがわたしには、かえって寂しく虚しい。
森田美湖にとって、モデルになることをやめると決めたその時から、彼女のカーニバルがはじまったんじゃないかしら?
みっこは自分では『変わりたい』と言いながら、今までの彼女の日常とは切り離された、この大学でのカーニバルの日々を、どう演じていいのか、わからないのかもしれない。
そんな意味で彼女が『カーニバル』と言ったのなら、やっぱり哀しい。そしてわたしは、そんな彼女にどう接していいかわからなくなるときもあるけど、みっこのカーニバルだって、いつかはきっと終わるよね。

 夜のキャンパスは昼間以上に喧噪にあふれてて、おもちゃ箱をひっくり返したような賑やかさ。
「ね。そう言えば今日の後夜祭じゃ、ダンパがあるんじゃなかった?」
「そうだったわね」
「さつき、それ行こうよ!」
「あ! 7時から体育館であるんだ」
わたしはプログラムを見る。みっこはわたしの腕を取って引っ張る。
「もう1時間も過ぎちゃってるじゃない。早く行こ!」
「でも、ペアじゃないと入れないみたいなこと、言ってなかった?」
「あら。あたしたちだって、ペアでしょ」
「ま… そっか」
みっこは笑いながら体育館へ向かう。会場のゲートでチケットを買い、私たちは中へ入った。
「『男性のみの入場は禁止します』か。まるでディスコみたい」
みっこは入口の注意書きを指ではじいて笑った。

 体育館に入ると、まずロビーがあって、その奥の扉の向こうがダンスフロアになっていた。
扉の向こうからは音楽が漏れてきている。ロビーに並べられた椅子には、何組かのカップルがカクテルを飲みながら、からだを寄せあって、なにかをささやきあっている。
その隣をすり抜けて、わたしたちはフロアへの扉を開けた。
かなりムーディなライティングで、すぐには目が慣れない。それに11月だというのに、たくさんの人の熱気で、蒸し暑いくらい。
 ようやくおぼろげながらあたりの様子がわかってきて、わたしは驚いた。
「み… みっこ。ちょっとあんまりじゃない?」
ちょうどチークタイムらしく、バラードの曲に合わせてフロアーで踊っている人たちは、互いに相手の首や腰に腕をまわして、ぴったりとからだをくっつけて踊っている。すごいダイタン。
「そうね。あたしたちには、目の毒かもね」
みっこも首をすくめて、苦笑いをした。
 とりあえずフロアの入口近くの椅子に腰をおろしたものの、わたしは場違いな所に来てしまったようで、落ち着かない。いちばん奥のカップルは踊りながらキスしているし、よく見れば胸とかおしりとか触ってるカップルもいるじゃない。
これはあんまりだわ。いったいどこの風俗店よ!
「みっこ、も、もう出よ」
わたしは真っ赤になって彼女を促すと、飲みかけのジュースを持って、席を立った。

 ロビーはまだなんとか、正常な世界だった。
「うふふふ」
わたしのあとから出てきたみっこは、意味深な含み笑いを浮かべて、うしろ手で会場の扉を閉める。
「な… なんなの? その笑い方は」
「さつきって、やっぱり純情」
「みっこはあんなのが回りにウヨウヨいても、平気なの?」
「平気じゃないわよ。やっぱりムラムラしちゃう」
「あ〜。いやらしい言い方。みっこって意外とエロいのね」
「あたし淫乱だもん。さつき、しよ!」
みっこはそう言いながらわたしに抱きついてくる。
もうっ。ほんとに今夜のみっこはおかしいんだから。

その時、じゃれ合っているわたしたちの目の前に、いきなりワイングラスがふたつ差し出され、男の人が声をかけてきた。
「飲まない? これぼくからのおごり」
声の方へ目をやると、そこにはダークブラウンのブラウスに、ペーズリー模様のスカーフタイを巻いた、背の高い男の人が立っていた。顔立ちは整っていて、いかにも女の子が好みそうなタイプなんだけど、ちょっと軽薄そうで、薄いサングラスが気取った感じ。
「あら。あたしたちにおごってもらう理由なんて、ないですよ」
みっこは振り返ってにこやかに言った。
「そんなもの、今からいくらでも作るさ」
そう言いながら彼は、無遠慮にみっこの肩に腕を回す。
わずかに香るお酒の匂いとタバコ臭。苦手だな、こういうタイプ。
「ぼく、アベちゃん。西蘭学院大学四年。ここの女子大のスタッフといっしょに、今夜のダンパをしきってるスタッフのトップ」
「よろしく、森田です」
「トップって言ってもね、運営自体は全部後輩がやったり、下のサークルに『かませ』たりしてるから、ぼくは指示するだけでいいんだよ」
「偉いんですね」
「まあね。上に立つ人間は、働いちゃダメなんだ。下っ端に働かせ、自分は偉そうにしているのが、一番うまいやり方なのさ」
「すごいんですね」
みっこは冷ややかに微笑みながら、肩に回された『アベちゃん』の腕を、やんわりと押しのける。『アベちゃん』は性懲りもなく、みっこの腰に手を回す。
「森田ちゃん? 今晩、ヒマ? 君を連れて行きたい、いいお店があるんだ。レストランガイドで五つ星とった、ドレスコードのある最高級のフレンチなんだよ」
「素敵ですね」
『アベちゃん』から渡されたワイングラスを手にしたまま、みっこはそう言って彼の首に腕を回したように見えたが、そのまま踊る様にクルリと回り、腰に回された彼の腕をすり抜けた。
「だけど、そんな『いいお店』に行くなら、それなりの準備をしないといけません。ね、アベちゃん」
「どんな準備?」
「あたし、そんなドレスコードのある様なレストランに着ていける、いい服持ってないんです。いい靴だってはいてかなきゃいけないし、それならアクセサリーも、気の利いたものがいりますね」
「任せてよ、そのくらい。『AIMER』あたりでイブニングドレスを調達すればいいだろ。今夜は売り上げも多いことだし、君にはたっぷり贅沢させてあげられるよ。もちろんいいクルマだって用意するさ。BMWくらいでいいかな?」
そう言って、『アベちゃん』はみっこに顔を寄せる。
ん〜、かなり遊び慣れた感じ。おまけになんかバブリーだし、ますます好きになれないタイプ。
みっこはチラっとあきれた顔を見せたが、すぐに微笑みながら言った。
「でも、いちばん大事なのは、いい男を用意して下さることですよ」
「いい男? それならここにいるじゃない」
「びっくりですね」
そう言いながら、みっこはグラスを彼の頭の上に持っていき、タラタラとワインを浴びせる。
「な… なにするんだよ!」
『アベちゃん』はびっくりして声を張り上げ、みっこのそばを飛びのいた。あわてた拍子にサングラスが飛んで床に落ち、ガジャンと砕けた。
「これがあたしの返事ですよ」
「サングラスが割れたぞ! ジバンシィのスーツも台無しだ!」
「あらあら。いい男はこのくらいで怒らないものですよ。今夜は売り上げが多いんでしょう?」
みっこはまるで謝る気がなさそうにニッコリ微笑むと、わたしの腕をとって歩き出し、『アベちゃん』に手を振る。
「ワインごちそうさま。短い時間だったけど、楽しかったですよ。アベちゃん」


「あんな酔っぱらいにからまれるなんて、あたしも落ちぶれたものね」
「でもみっこも、やることがいちいち過激よね」
「心配ないわよ。あんな手合いは、あれくらいのことじゃ懲りないから」
「夏の海の時もそうだったけど、みっこって、ナンパされると最後は必ず、相手を怒らせて終わるのね」
「あは。そうだったかしら? それにしても、ちゃんと踊りたかったな〜。あ〜あ。入場料、損しちゃった」

 わたしたちはキャンパスの裏にある、ちょっとした丘の上の大きなもみの木の下に座って、カーニバルナイトの酔いを冷ましていた。
学園祭のざわめきも、この丘の上まではほとんど届かず、カーニバルのにぎわいは風景画のように、わたしたちの目の下に広がっている。
下の広場では、燃えさかるかがり火を大勢の男女が手を繋ぎあって囲み、フォークダンスを踊りながら、学園祭のフィナーレを楽しんでいる。
『オクラハマミキサー』のメロディが、とぎれとぎれに風に流されて、わたしたちのいる所までやってきた。

「なかなかいないものねー。いい男って」
みっこは両手でひざを抱え込むと、そうつぶやく。
「レンジグルメみたいに、あちこちで簡単にカップルができあがっちゃって、でもすぐ別れちゃって… 一生いっしょの恋なんて、どこにあるんだろ?」
「どうしたのみっこ? 急にそんなこと言い出して」
「だって… なんだかもどかしいの。あたしは、新しい恋をしたくてたまらないのに、そんな気にさせる人が、ちっとも出てこないなんて」
「みっこは、恋がしたいの?」
「…やっぱり、したい」
ポツリとそう言うと、みっこはなにかを追いかけるような、遠い目をしながら、話しはじめた。
「あの人のことを考えながら、紅茶を飲んでいる時間とか、夜、髪を乾かしているとき、ふっと鳴りそうな電話に目をやる瞬間とか、とても好きだった。
まったく知らなかった自分を見つけることができて、毎日が生まれたてのように、新鮮だった。
なんだか自分がつやつやして、好きになれた。
恋って、辛いことも多いけど、その分、ほんとに幸せなことがなんなのか、よくわかる。
そんな思いを、もう一度だけ、してみたい」
そんな風に話すみっこを見ているとき、わたしは彼女のことを、とっても身近に感じることができる。
容姿端麗のお嬢さまで、モデルをめざしていたみっこに、わたしは『隔たり』というか、『違う世界で生きている女の子』だなって感じることもあった。
でも、こうして恋の話しをしているときは、普段わたしの回りにいるような、ふつーの女の子と同じ表情を、みっこもするんだ。

「あ! みこちゃーん。さつきちゃーん。こんなとこにいたのね!」
そのとき、夜のしじまとわたしの思考を破って、ナオミが甲高い声を上げて手を振りながら、丘への小径を上がってきた。

「ね。聞いて聞いて! すごいのよ! あたしスカウトされちゃったぁ!」
わたしたちの前にペタンと座り込むよりも早く、ナオミは一気にしゃべった。
彼女のあとからやってきたミキちゃんが、ナオミの言葉をフォローする。
「そうですの。ナオミったら、ファッションショーのあとで、四十くらいの素敵なおじさまに呼び止められて、『その気があるならモデルの勉強してみない?』って、誘われたんですのよ。横で聞いていて、わたしまで興奮しちゃいました」
「へえ、すごいじゃない! まさかとは思っていたけど、ほんとにスカウトされるなんて。ねえ、みっこ」
わたしは驚きながら、みっこの方を見る。
「新手のナンパじゃなきゃ、いいけどね」
みっこは冷ややかにそう言った。
彼女の口調の隅には、かすかなやっかみが込められていた。しかし、すっかり舞い上がってしまっているナオミには、そんなみっこの皮肉なんか、まったく通じてない様子。
「心配ないわよぉ。パリッとしたバーバリーのスーツ着てたし、別にホテルとかにも誘われなかったし。それに名刺までもらったんだからぁ」
嬉しそうにそう言って、ナオミはみっこに名刺を差し出す。

   日本職業モデル組合加盟
    Dessinateur
   代表取締役社長 高野雅人

「…ふうん。いいんじゃない?」
みっこは名刺を見た瞬間、『おや?』というような顔をしたが、そう答えて、名刺をナオミに返した。
「でしょ! やったね! これであたしもモデルだぁ!」
ナオミは嬉しそうにみっこの手を取って、パシパシと叩く。みっこは複雑そうな表情で、黙ってナオミにされるがままになっていた。
そうよね。森田美湖にないものを、ナオミはいっぱい持っているんだもの。
みっこから、モデルにならない、なれないいきさつを聞いた今なら、自分が求めても絶対に得られないものを、最初から持っているナオミに対して、羨ましいと思う彼女の気持ちも、分かるような気がする。

 その時、この丘に続く道に、また別の人影が現れた。
「あの…」
それは三人の男の人。
彼らはわたしたちからちょっと距離をおいて、おずおずと立ち止まる。まだ高校生のような、あどけなさの残った顔立ち。その中のひとりの、目鼻立ちのくっきりとした、サラサラとした髪の綺麗な少年が、ためらいがちにみっこに話しかけてきた。
「こんばんは。あの… ちょっと、お話ししていいですか?」
みっこは黙って座ったまま、その少年を見つめている。だけどナオミは、彼を見てクスクス笑いだした。まあ、それもしかたないかも。だって、その少年は緊張のせいか、すっかりアガってて、夜の薄明かりの中でも、顔はおろか耳たぶまで、真っ赤になっているのがわかるんだもの。
まあ、これもやっぱりナンパなんだろうけど、今回のはちょっと純情っぽくて、わりと好感が持てるかも。
 少年は、他のふたりの友だちに背中を押されて、数歩みっこの前に進んだ。
「あの… 『みっこさん』っておっしゃるんです… よね。そちらの友だちから、そう呼ばれているのを聞きました」
「…」
「ぼく、昼からあなたのこと見てて、いいなって思ってて… それで、夜までいたらフォークダンスに誘おうと思って… そう決めてて、それで…」
彼ははにかむように言葉を区切った。後ろの友だちは、『どうしたんだよ!』『ちゃんとキメろよ!』とエールを送っている。
「それで… い、一曲だけでいいですから、ぼくとフォークダンス、踊って下さい!」
彼は力んだ口調でそう言うと、ふうっと大きく息を吐き出し、審判を待つ子羊のように、ぎゅっと目をつぶる。カッコつけのナンパばかり見てたせいか、そんな彼の様子を見ていると、なんだか微笑ましく思えてくる。
この少年は今日、女子大の文化祭を見にきて、偶然、綺麗な年上の女の子を見かけてひとめ惚れしてしまい、だけど勇気が出ずに話しかけられなくて、今までこっそりと見めるだけだったってことよね。これほど純情な男の子は、今どき小学生でも珍しいかもしれない。

「人を誘うときは、まず、自分の名前を言うのが礼儀なんじゃない?」
みっこはそう言って少年を諌めた。だけど、その口調はけっして厳しいものではなかった。少年はあわてて頭をかいて、ますます赤くなる。
「ご… ごめんなさい! ぼく、上村といいます。上村一総(かずさ)。昇曜館高校二年です。ぼく、こんな誘い方はナンパみたいで好きじゃないんだけど…」
「上村君は、あたしをフォークダンスに誘ったあと、真夜中までドライブして、どこかの海岸でクルマを止めて、シートを倒すつもり?」
みっこがそう言って、上村君を茶化す。
「そ、そんなことしません! からかわないで下さい! それに… クルマなんて持ってないし」
上村君は赤い顔をさらに赤くして否定した。みっこはそれを見て、わずかに頬をゆるめる。
「…いいわ。じゃあ、踊りましょう」
そう言って、みっこは立ち上がった。
え?
彼女が男の子からの誘いを受けたのは、これが初めてだわ。
「あたしは森田美湖。でも、『みっこさん』のままでいいわ。ここの女子大の一回生。よろしくね」
そう言って、みっこは上村君に左手を差し出す。上村君は驚いたが、すぐにその意味を察して、みっこの手をとり、彼女が立ち上がるのを手伝ってやった。なかなかやるわね、上村君。

「みんなも踊らない?」
みっこはスカートの裾を払いながら、わたしたちに言う。
ナオミが真っ先に「うん!」と嬉しそうに返事をして立ち上がり、上村君の後ろの男の子たちに話しかける。
「あたしナオミ。よろしくね」
「えっ! オレたちもいいんすか?! あざーす。オレ、武田 勝。勝利の『まさる』っす。こいつは沢渡って言うんす」
「勝(まさる)くん… カツくんかぁ。いい名前じゃない」
「おっ。嬉しいっす。さっそくあだ名つけてもらって。ナオミお姉さん、めっちゃ美人っすよね〜! 今夜はオレの人生最高のラッキーナイトっす。よろしくっ!」
「お… おい武田。あんまり失礼なこと言うなよ」
「いいじゃん上村。こんな綺麗なお姉さんたちとお知り合いになれるなんて、オレが文化祭に誘ったおかげだろ。オレ感激のあまり、ダンスの時は手にヘンな汗が出そう」
「いい加減にしろよ! す、すみません。こいつ口が悪くて…」
「でも上村。武田の言う通り、こんなに素敵なお姉さんぞろいなんだから、浮かれるのも当たり前だって。すみません、ナオミさん。ぼくたち正直なもんで」
「沢渡まで!」
上村君は必死になって取り繕おうとするが、ふたりの友だちは満面の笑みを浮かべて、ほんとに嬉しそう。それを見ながら、ナオミはニコニコ笑う。
「いいのよぉ。正直な少年はあたし好きだから。『カツくん』に『サワくん』かぁ。よろしくね。ミキちゃんもいっしょに踊ろぉよ!」
「そうね。今日はナオミのスカウト祝いだしね」
ナオミに誘われて、ミキちゃんも立ち上がる。みっこも『いっしょに行こう』という風に、わたしに目配せした。
「あ… わたしはいい。なんだか疲れちゃって… ここで待ってるから、みんな踊ってきて」
むこうは三人でこちらは四人。
出遅れてみんなの輪に入り損ない、ひとりだけあぶれてしまった気がしたわたしは、気まずさを隠すために明るくそう言って、ひとりでそのままもみの木の下に留まった。みっこは少しためらい、みんなを先に行かせて、わたしの前に立った。
「みっこも行ってちょうだい。わたしのことは気にしなくていいから」
「でも…」
「ほんとよ。それにわたしが入ると、人数バランス崩れるじゃない。わたしはほんとにいいよ。それに川島君と別れて、今は他の男の人と踊るなんて気分じゃないし」
「そう?」
「うん。だからみっこは楽しんできて。ね。わたしもあとから行くから」
「…ん」
みっこはそう言って二・三歩歩きかけて、後ろ髪を引かれるように立ち止まって振り返った。
「あたし… 今度恋をするときは、悔いのないようにしたいの」
「え?」
みっこはわたしを見つめて、続ける。
「あたしもね、一度、恋にしくじったことがあるのよ。そのとき、人と人って、最後は必ず別れて終わるものなんだって、やっとわかった」
「みっこ…」
「でも… だから、悔いのないように、したいの」
そう言って、みっこはわたしを気遣い、何度か振り返りながら、丘の小径を下っていった。
やがて、六つの人影がゆっくりとフォークダンスの輪舞に近づいていき、輪が切れて新たな仲間を迎え入れる。ふたたび輪はつながり、みんなは輪舞の中に溶け込んだ。


オクラハマミキサー
マイムマイム
ユーモレスク…

 牧歌的なフォークダンスのメロディが、ゆったりと流れてくる。
それは、きらびやかだったカーニバルの喧噪を、まるで現実に戻していくかのように、飾り気のない響きだった。
音楽はカーニバルのフィナーレを惜しむかのように、何度も何度も繰り返し、フォークダンスの輪は、いつまでも踊りにふける。
だけどわたしは、いつまでたってもその輪の中に入っていく気もおこらず、丘の上のもみの木の下にじっとうずくまり、ひとりでその景色を眺めていた。

『人と人って、最後は必ず別れて終わるもの』

そんなみっこの言葉が、ずっと心の中で繰り返し、こだましていた。
みっこが恋にしくじったことがあるように、わたしも川島君との恋愛にしくじってしまった。
その後悔と悲しみが、もう傷は癒えたと思っていても、なにかの拍子にわたしの心の中に浮かび上がってきて渦を巻いては、治りかけの傷を掻きむしってしまう。
あたりにだれもいない、隙間だらけのこのポツンとした暗闇の中で、その渦は次第に大きくなり、凍える秋風といっしょになって、わたしの心を呑み込んでしまおうとする。
ぬくもりがなくて、凍てつくように、寒い。

川島君とは、もう戻れない。
あの、楽しかった日々は、永遠に取り戻せない。
そして…
今はいちばんの親友のみっことも、いつかは別れなきゃいけないときが、必ず来る。
だって、『さよならだけが人生』なんだもの。

「そんなこと考えたって、しかたないじゃん! そんなの、あたりまえのことじゃない。それよりみっこの言うように『悔いのないように』つきあうことが大事なんじゃない?」

このままじゃ、どんどん闇の世界に引きずりこまれてしまいそう。
わたしはとめどなく溢れてくる暗い気持ちを振り切るために、声に出して自分を励ましてみた。
だけどわたしの声は、聞いてくれる人がだれもいない、夜のしじまに吸い込まれていくだけで、ますます孤独感が募ってくる。

「もういい!」

わたしはそう叫ぶと立ち上がり、もみの木の幹を抱きしめるようにして、そこに顔を埋めた。
なんでもいい。
ただ… ほんとに確かなものがほしい。
わたしの存在をしっかりとささえてくれる、この大きな木のように、確かな存在が…

 その時、不意にわたしの背中で、人の気配がした。
わたしは反射的に振り返り、あたりをうかがう。
サクサクと枯葉を踏みしめる音がしたかと思うと、真っ黒い大きな人影がわたしの視界をさえぎる。
背が高い。男の人だ!
「きゃぁっ!」
わたしは驚いて思わず大声を出し、両手で顔を覆ってうずくまった。

「さつきちゃん。ぼくだよ、ぼく!」

え?
聞き覚えのある声。
わたしは顔を上げて振り返る。
彼は心配そうにわたしの瞳をのぞき込む。
忘れることができなかった、その瞳。

「かっ… 川島君?! 」
川島君はわたしを心配そうに見つめていたが、やがて、ふっと笑みをこぼした。
わたし、何度この笑顔を夢に見たことだろう。
いつも苦い夢だったけど…

「嘘… どうしてこんなとこに?」
わたしは今、目の前に川島祐二が存在していることが信じられなくて、思わず声をもらした。
これは夢のつづき?

「それはこっちが聞きたいな」
「え?」
「先月約束しただろ? 今日のことは」
「…」
「11月18日の12時に、西蘭女子大の正門前のバス停で待ち合わせって」
「…」
「約束の時間にバス停に来ても、さつきちゃんはいつまでたっても来ないし、家に電話しても留守だったから、まだ学校のどこかにいるんだろうと思って、一日中ずっと探していたんだ。
もうすぐ学園祭も終わるからもう帰ろうと思ったけど、最後にこの丘の上から全体を見てみようと思って登ってみたら、さつきちゃんに会えた。よかった。本当に」
「12時から… ずっと?」
わたしは彼の言っている言葉の意味が、よくわからない。
わたしは、もう10日も前に、川島君にはさよならの電話をかけて、彼とはもうなんの約束もなかったはずなのに。
「でも…」
「あの時の電話で、今日の約束がなくなったわけじゃ、ないから」
川島君はわたしの胸のうちを察して、それを遮るかのように、毅然とした口調でそう言った。
確かに… 
あのときの電話では、今日の約束の話しはしなかった。
でも…
「あの時さつきちゃんは、『サークル、やめるし、小説講座は続けたいけどわからない』と言ったけど、『もう会いたくない』なんて言ってないだろ。
今日の約束をとり止めるなんて、ぼくは一言も聞いてないからな」
「…」
わたしはなんだか、喉の奥にものが詰まったようになって、なにも言えなかった。
無理にしゃべろうとすると、この人の前で泣き出してしまいそうで、怖かった。
川島君はさらに続けた。
「ぼくは間違ったこと、言ってないだろ?」
「…」
「今日、12時に正門前のバス停で、ぼくたちは確かに待ち合わせしてたな?」
「…」
わたしは黙ったまま、小さく頷(うなず)く。それが精いっぱい。
川島君のこういった、ばかな程の素直さが、やっぱりたまらなく好き。
わたしのかすかな動きにようやく緊張が解けたように、川島君はほっと息をついて、さわやかに微笑んだ。
「そうか。9時間も待ったんだぞ。あとでコーヒーくらいおごってもらうからな!」
そう言って川島君は、わたしの隣に腰をおろした。

 川島君はそれきりなにも言わず、わたしといっしょに、遠くのフォークダンスの輪を見つめていた。
彼の頬に、かすかにファイヤーストーンの炎の色が揺れている。あたたかな、だいだい色。
触れてみたい。その色に。その頬に…
感じてみたい。川島くんの肌のぬくもりを…
そんなことばかり考えていて、わたしもなにも言えず、でも、なにか言わなきゃいけないと思い、次の台詞を探していた。そして川島君が、今なにを考えていて、これからなにを言おうとしているのか、必死で予想していた。

最後に会った、あの雨の夜…
わたしはものすごい早さで、その時の記憶を巻き戻していた。

『好きな人。いるよ』
『同級生』
『完璧にぼくの片想い』
そして…

『もういいよ』

もう、何回も何回も、心の中で再生を繰り返した、川島君の言葉。
すっかり擦り切れてしまったけど、何度思い返しても痛みがやわらぐことのない、川島君の台詞。

「…………ごめん」

長い長い沈黙のあと、川島君はようやく、そう切り出した。

「え?」
「あの時、ぼくが意地を張ってしまったから、さつきちゃんを怒らせてしまった」
「わたし、なにも怒ってなんかないわ」
「じゃあ、ぼくが怒ってるんだ。自分自身のふがいなさにね」
「どうして?」
川島君はなにかを思い出すように、真っ黒な空を見上げてひと息つくと、話しはじめる。
「最後に会った、小説講座の帰りのこと、覚えてる?」
「…ええ」
わたしは頷いた。
「後悔してるよ」
川島くんはそう言ってひと呼吸おいて、わたしの顔を見て話を続ける。
「あの時ぼくは、さつきちゃんに対して、苛立ちをぶつけてしまった。
ただの女友だちなのに、そんなことしちゃいけないって、わかっているのに、だ」

『ただの女友だち』

わたしは心の中で、川島君の台詞を繰り返す。胸の傷が、またひとつ、えぐられる。
もう、いい!
何度も何度も、あんな思いは味わいたくない。
軽い喪失感。
そんなことを言うために、わざわざわたしを探しまわったの? 9時間も。
期待したわたしが間違っていた。
今夜、こうまでしてわたしに会いにきてくれた川島君の優しさは,やっぱりただの友だちとしてのもの…
自分の罪悪感を消し去りたいためだけ?
だけど川島君は、そんなわたしの気持ちに気づきもせず、話しを続けた。

「さつきちゃんには、知っておいてほしいんだ」
「なにを?」
寒さのせいもあったけど、わたしの口調は失望のせいか、固かった。

「さつきちゃんはぼくのこと、ただの友だちとしか思っていないだろうけど、ぼくはそう思ってないってことを」
「え?」
わたしの心臓がひとつ、ドキンと鳴った。
「さつきちゃんといる時、いつももやもやしたものを感じていた。
なにか大切なことを伝えたいけど、言い出せない。
ぼくがそんなことを言ってしまえば、せっかくいい友だち、サークルの仲間としていっしょにいられるようになった関係を、自分から壊してしまう気がして、怖かったんだ。
ぼくは本当に情けない。臆病なんだよ」
「…」

それは、わたしの気持ち?
なにかがシンクロしている。

「あの夜、ぼくはさつきちゃんの言葉を聞いて、絶望して、やけっぱちになってしまった。だからつい、さつきちゃんに対して攻撃的になってしまったんだ。あの時さつきちゃんは、理由つけて先に帰っただろ。当たり前だよな。こんなイヤな自分は、嫌われても当然だよ」
「…」
「次の日、さつきちゃんから『サークルやめる』って電話があった時、自分のやったことをほんとに悔やんだよ。『あとの祭り』だって。だけど、ぼくの祭りはこのまま終わらせたくなかった」
「…」
「こんな中途半端な気持ちのまま、さつきちゃんと会えなくなれば、ずっと悔いだけが残る」
「…」
「だから、どんなにこじつけの理由をつけても、今日さつきちゃんに会いたかった」
「…」

これから先の川島君の言葉を予感して、わたしはからだの震えがとまらなかった。
ついさっきまでの喪失感や失望とは違う、張りつめた緊張が全身を支配して、指先すらも動かせず、言葉も出ないまま、じっと川島君の言葉だけを受け止めていた。

「怒らないで最後まで聞いてほしい。
さつきちゃんにとって、ぼくのことはただの友だちだろうけど、ぼくは…」

「待っ… 待って!」

わたしは思わず彼の言葉を遮った。
怒濤のようにいろんな思いが駆け巡る。
このまま受け身のままでいたら、わたしはきっと、みっこの言っていた『プレミアム』をなにも払わずに終わってしまう。
それじゃわたしには、本当の幸せの意味が、わからなくなってしまうかもしれない。
壁を越えるのは傷つくことだろうけど、わたしはとにかく、自分の気持ちをぜんぶ川島君に知っておいてほしかった。例えどんな結果になろうとも。
これが多分、川島君と地下街の書店で再会して、友だちとして同人誌の活動をやり、さまざまな恋の事件に巻き込まれ、みっこと喫茶店や港の埠頭で、恋についていろいろ語り、川島君との恋に一度はしくじったわたしの、最後にたどり着いた答えなんだと思う。

「お願い。わたしから先に言わせて。わたし… 川島君が好き! ずっとずっと、好きだったの!」
「…さつきちゃん」
「こないだあんな電話をかけたのにこんなこと言って、川島君は呆れてるかもしれないけど、わたし、傷つくのが怖かった。
川島君が好きな人がだれなのか、知るのが怖かった。
川島君が別のだれかを好きで、その人のことを優しい目で見るのを、目の当たりにするのがイヤだった。
だからお別れを言うしかなかった。
でもわたし、ずっと後悔してた。
わたし、自分のこと、かばい過ぎてた。
傷つく怖さに、川島君を好きな気持ちが勝てなかった。
わたしは臆病で、壁を越える勇気がなかった。
でも、もういい。
結果なんて、もう、どうでもいい。
わたしにとって川島君は、いちばん大切な人。
それだけを川島君に知っていてもらえれば、もう、それで… いい」

「…」
川島君は返事の代わりに、わたしを思いっきり抱きしめた。
全身が彼のからだの中に包まれてしまう。
じんわりと伝わってくる、川島君の体温。
あったかい。
人の肌のぬくもりって、好きな人の体温って、どうしてこんなに安心できるんだろう。
こういう安心感って、わたしが生まれてはじめて知った『幸せ』。
川島君はわたしの髪をやさしく撫でながら、ためいきついた。

「ぼくはやっぱり、女心がわからない鈍感野郎だな」
「え?」
「さつきちゃんが、ぼくとまったく同じことを想ってくれているなんて、全然気がつかなかった」
「ほんとに?」
「ぼくの方の話。まだ終わってないんだけど… 続きを言っていいかい?」
「ん」
「…ぼくは、さつきちゃんが好きだ」
「ん…」

そう言ってもう一度,川島君はわたしをぎゅっと抱きしめる。
川島君のその言葉に、わたしは彼の胸に顔を埋めて、ただうなずくだけだった。

カーニバルの夜は、終わらない。

END

17th Apr. 2011

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