イラスト日記

2001年 11月

DIARY INDEX


おいかけ日記

1st Nov.2001

なんと4ヶ月も溜めまくった日記をようやく書き上げてアップ。なんとか日記が追いつくことができた。
実はまりのえは高校生の頃から数十年間(;)日記を書いている。もちろん当時は本当に「日記」だったわけで、
公開することなんて考えてもなかったので、結構内容が赤裸々だったりする。
だけど、社会人になって仕事やなんかに謀殺されてくるようになると、日記を書こうという意欲がめっきり減って
日記は隔日記に、そして週記になっていった。それでも今回のように数カ月溜め込むことも一度や二度ではなく、
その度に「おいかけ日記」と称して、記憶を頼りに数カ月分のページを埋めなきゃならなかった。

もうおいかけ日記はよそう。これからは毎日書かないとしても、できるだけこまめに書いて頻繁にアップするよう心掛けよう。


雲仙の紅葉

4th Nov.2001

今回の修羅場もひと息つき、雲仙に紅葉ロケに行った。ここには夏にも来たが、季節の変わった景色はまた一興。
だけど肝心の紅葉はやっぱり今年の暖秋がたたったようで、いまひとつの色づき。せっかく雲仙くんだりまで来たが空振り。
行きがけに走った有明海沿いの国道では牡蠣焼きが売ってあった。
牡蠣に目のないまりのえとしてはたまらない誘惑。う〜ん。それも食べ損ねてしまったし、今回のロケはついてないな〜。
だけど雲仙観光ホテルはなかなかのものだった。老舗ホテルとしての存在感は抜群で、ホスピタリティも優秀。
ポートレートのロケーションとしてもいい感じだろう。かつて昭和天皇が宿泊された特別室には是非泊まってみたいものだ。
翌日は有明海を横断してセキアヒルズへ。
ここは確か3〜4年前に開業したリゾートホテルで、動物園やショッピングモールのあるのが売りだったはずだが、
雨のせいもあってか人影はまばらで、ショップも閉鎖したり閉店セールしてる所が多かった。
大牟田の田舎にこんな大袈裟な施設はやっぱり無理なのかもしれない。


半期に一度のバーゲン

9th Nov.2001

「インドラの炎」のネーム途中に原稿用紙がなくなったので、九州画材に仕入れに行く。
今この店は半期に一度のセールをしているということを、来店して思い出した。
案の定店内は全商品20%OFFという嬉しい状態。だけど今月は(も)お金のないまりのえはチビた画材を買うのに精一杯だった。(泣)
「インドラの炎」は第1回目のネームがなんとか終了。まりのえにしてはハイペースで、これなら今年中に本が出せるかも。


dream a dream

11th Nov.2001

CDショップでシャルロット・チャーチの新譜を発見。しかも2枚も出ていた。最近ショップ行かないからすっかり取り残されていたんだね。
それはいいとして、シャルロットの歌唱力の成長にはびっくり。
以前はごまかしていた高い声も、今では延びのある朗々とした美声を聴かせてくれる。
dream a dreamは賛美歌集だが、クリスマスソングとして馴染みのあるものばかりなのですんなり入れた。
これからの季節にはかな〜りお薦めの逸品。ジャケットもいいし。
去年来日した時はかなり太っていたけど、最近はすっかり大人びてきて歌もからだも贅肉が取れてきた感じ。これからも要チェック。
ENYAもアルバムが出ていたが、これはベストっぽい感じだったので当分見送りに。


国語破壊委員会

15th Nov.2001

「放送禁止用語は小説中にも使うことは好ましくないって、編集さんからも言われるんですよ。
だけど例えば『めくら判を押す』って書きたい時に、他にどう表現すればいいと思います? 『盲目判』ですか?
「めくら」を「盲人」に言い換えて繕ったつもりでも、根本的な差別の根っこはなにも変わんないでしょ!」
友人のジュネ小説家は憤慨してそう喋った。
ほんの些細な言葉遣いに目くじらたてて臭いものに蓋をしたつもりでも、匂いは隙間から漂ってくる。
日本語にはこの国の歴史が詰まっている。漢字が輸入されひらがなが編み出され、日本語という概念が文字として定着するようになってから
その言葉は権力が隠したがる歴史の暗部や恥部の垢をも纏い続け、日本人のアイデンティティーを醸し出す役割を担っている筈だ。
考えてみるといい。フランス人はフランス語、イギリス人は英語、デンマーク人はデンマーク語をそれぞれ話す。
パシュトゥン人だってドラヴィダ人だって、ほぼ総ての民族は固有の言語を持っている。民族=同一言語を持つ人々の集まりなのだ。
かつて戦争に負けた時、日本語をローマ字表記にしようという意見が出た。
それ事体は実現しなかったが、ローマ字はこうしてパソコンで文字入力をする上で重要な表記になっている。
さらに、当時設立された国語審議会は日本語改革と銘打って、まず漢字を簡略化(破壊)し、口語体といって表記を破壊し、
文語としての整合性を無視した「しんかなづかい」を全国民に強制した。(だからまりのえは日本語本来の歴史仮名遣いがあまりできない)
それだけでは物足りないのか、今度は「放送コード」を設定して、うさん臭いと国家権力が判断した言葉を次々と血祭りに上げている。
ここまで民族の言語や歴史を自ら破壊し捨て去ろうとしている国民は、世界中探しても日本人くらいなものだ。
そしてそれはアメリカの精神的日本占領の呪縛だといえるんじゃないだろうか?
欧米諸国にはキリスト教化の名の許に、南米の土人文化を破壊し尽くした前歴がある。欧米は他の民族総てを召し使いにしないと気が済まないらしい。
現在では国際的批難もあるので、武力で文化を破壊するのは控えているが、その分巧妙に日本民族の精神破壊を進めているのである。
その片棒を担いでいる国語審議会やメディアは、日本人としてなんとも憐れなものだ。
「土人」を「原住民」に、「召し使い」を「使用人」に言い換えることで、日本語の真の美しさは失われていくのだ。
先日の同時多発テロの発生直後にニュースを観ている時のこと。
ペンタゴンが炎上し大統領が所在を明かにせずメッセージも出さず、全米の情報機能が麻痺していた当時の状況を、ある評論家が例えて、
「アメリカは現在つんぼでおしでめくらの状態にあると言えます」
とコメントしていた。
まりのえはそれを聞いていて、テーブルをひっくり返しそうなくらい驚いて、そのあと爆笑。
「只今不適切な発言がありましたことをお詫びします」
とアナウンサーが蒼い顔でフォローいれたけど、あの評論家はその後どうなったんだろうか?


生きる喜び

20th Nov.2001

「古典的で陳腐なストーリー展開に、嫌味なまでに美形な役者の泥臭い演技。原色を下品に使い散らかした毒々しい色彩」
これらはまりのえが「Moulin Rouge」に贈る賛辞の言葉である。
今日、画材を買いに街に出たついでに「Moulin Rouge」を観た。
まりのえは「19世紀のポスター展」という催しをかれこれ20年前に観て以来、この時代が好きである。
まだまだ執筆が続いている「Princess Road」は19世紀末のパリから物語が始まるし、
番外編のコミックはもろに、フレンチカンカンの踊り子で娼婦のマリ嬢と、ポスター画家のラブコメだった。
数年前に某遊園地で催された「アールフォラン展」は、当時の遊園地のメリーゴーランドやストリートオルガンなどを見せ物小屋風に再現した、
なかなか見ごたえのあるイベントで、遠距離にもかかわらず何回か行ったものだ。
そんなわけでこの「Moulin Rouge」は封切り前から期待◎だったが、ぼくの抱いていた予想は完全に裏切られた。
それは、ぼくが漠然と抱いていたデカダンな19世紀末と20世紀末がパラフィン紙越しに重ね合わされ、幻灯と3Dのテクノロジーが融合し合い
正統派フレンチカンカンをシャガール的猥雑さで描いた、恋の幸せと生きる喜びをCGで織り込んだレヴューシネマだったのだ。
このシネマは観てもつまらない。感じることだ。


インドラの炎〜Prolog

25th Nov.2001

今回の3連休は仕事を全部押し退けて原稿描きに没頭。おかげでインドラの炎37Pを脱稿した。
今月からネームにかかって実質3週間で37Pということだから、これまでの執筆ペースを考えるとハイペース。
しかもその後すぐに冬コミ合わせでPrincess Roadの原稿にかかろうというのだから、まさに自分的には驚異的だ。
別に仕事が暇なわけではなく(殺人的に修羅場っているわけでもないが)、今はまさに漫画の神様が降りてきている状態なのだ。
願わくばこの神様がいつまでもまりのえの側に降りたままでいるように。


お誕生会

27th Nov.2001

蠍座の仲のいい友達のお誕生会をする。ホストはまりのえ。今回は小倉の真ん中にあるフランス料理のレストラン「ボンファム」。
ここはまりのえのお気に入りで、なにかあるとここでお食事会になる。
海鮮がいつも新鮮で火の通し方が絶妙なので、そこら辺の和食の店より美味しいのだ。
酒類には弱い(っていうか殆ど受け付けない)まりのえだが、ワインも美味しくてグラス分飲み干してしまった。
おかげでこれを書いている今もフラフラしてて上気分。こういう時間は人生の至福のひとときか〜と思う。
取りあえず気力補給したし、明日からまた仕事頑張ろう!


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